宮国村(読み)みやーぐんむら

日本歴史地名大系 「宮国村」の解説

宮国村
みやーぐんむら

[現在地名]上野村宮国(みやぐに)

現村域の南西部を占める。西は下地(すむず)間切嘉手苅(かでか)村(現下地町)に接し、東は近世城四箇(ぐすくしか)とよばれた新里(あらだてい)村、砂川(うるか)村・友利(とうむ)村(現城辺町)へと続き、南は海に面している。方音ではミャーグン。正保国絵図では親道と考えられる朱線路が記され、また南西に「かゝいり崎」がみえる。雍正旧記には城辺(ぐすくなぎ)の内として、宮古島蔵元(現平良市)より南南東の中間にあり、二里一九町一〇間、嘉手苅村より宿次三一町五〇間、番所は南西向きで村の真ん中にあるという。両島絵図帳に「ミや国村」とみえ、高五一四石余。正保国絵図では宮国村と記される。宮古島の諸村位定では布上・石上(里積記)。両島絵図帳に「あな川入江弐町口広サ拾五尋小舟掛所深サ弐尋口午之方向」と舟泊りのあったことが記される。雍正旧記に「穴川港」とあり、「入口弐町午方ニ向フ、江広さ拾五間、小船罹所、深さ弐尋」という。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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