20世紀日本人名事典 「宮尾舜治」の解説 宮尾 舜治ミヤオ シュンジ 明治・大正期の大蔵・内務官僚 貴院議員(勅選);帝都復興院副総裁。 生年慶応4年1月8日(1868年) 没年昭和12(1937)年4月3日 出生地越後国(新潟県) 学歴〔年〕東京帝大法科大学〔明治29年〕卒 主な受賞名〔年〕従三位勲二等 経歴大蔵省に入り、参事官に任ぜられ、明治30年税務監督官となり、煙草専売創立事務を担当。33年台湾総督府に転じ、税務課長、殖産局長兼専売局長などを経て、43年拓殖局第1部長、ついで関東都督府民政長官、愛知県知事、北海道庁長官など歴任。大正12年帝都復興院副総裁となり、後藤新平を助けて震災後の復興に尽力。退官後東洋拓殖会社総裁などをつとめ、昭和9年勅選貴院議員。12年市政改新同盟に加盟、東京市会議員となった。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「宮尾舜治」の解説 宮尾 舜治ミヤオ シュンジ 肩書貴院議員(勅選),帝都復興院副総裁 生年月日慶応4年1月8日(1868年) 出生地越後国(新潟県) 学歴東京帝大法科大学〔明治29年〕卒 経歴大蔵省に入り、参事官に任ぜられ、明治30年税務監督官となり、煙草専売創立事務を担当。33年台湾総督府に転じ、税務課長、殖産局長兼専売局長などを経て、43年拓殖局第1部長、ついで関東都督府民政長官、愛知県知事、北海道庁長官など歴任。大正12年帝都復興院副総裁となり、後藤新平を助けて震災後の復興に尽力。退官後東洋拓殖会社総裁などをつとめ、昭和9年勅選貴院議員。12年市政改新同盟に加盟、東京市会議員となった。 受賞従三位勲二等 没年月日昭和12年4月3日 出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宮尾舜治」の解説 宮尾舜治 みやお-しゅんじ 1868-1937 明治-昭和時代前期の官僚。慶応4年1月8日生まれ。大蔵省,台湾総督府,内閣拓殖局をへて,大正6年関東都督府民政長官,8年愛知県知事,10年北海道庁長官。関東大震災のあと帝都復興院副総裁となった。貴族院議員。昭和12年4月3日死去。70歳。越後(えちご)(新潟県)出身。帝国大学卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by