宮川米次(読み)みやかわ よねじ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宮川米次」の解説

宮川米次 みやかわ-よねじ

1885-1959 大正-昭和時代の内科学者。
明治18年2月4日生まれ。昭和9年母校東京帝大の教授,伝染病研究所長となる。10年鼠径(そけい)リンパ肉芽腫(にくげしゅ)症の病原微生物を培養確認,これは宮川小体と名づけられた。30年学士院賞。昭和34年12月26日死去。74歳。愛知県出身。旧姓今泉

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世界大百科事典(旧版)内の宮川米次の言及

【性病】より

…つづいて1905年F.R.シャウディンとホフマンErich Hoffmann(1868‐1959)は梅毒トレポネマを検出した。おくれて鼠径リンパ肉芽腫の病原体として,36年宮川米次らにより宮川小体が発見された。宮川小体は,その後の研究により,クラミディアに属する病原体であることが明らかになった。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」