宮本佐四郎(読み)ミヤモト サシロウ

20世紀日本人名事典 「宮本佐四郎」の解説

宮本 佐四郎
ミヤモト サシロウ

大正・昭和期の園芸家 大分県柑橘協会長。



生年
明治26(1893)年3月16日

没年
昭和37(1962)年4月14日

出生地
大分県杵築市

学歴〔年〕
東国東郡立実業学校農学科卒

主な受賞名〔年〕
大分合同新聞文化賞〔昭和30年〕

経歴
岡山県大原農業研究所でミカン栽培の研究に従事。次いで朝鮮で果樹栽培の実験を行うが、病気のために中途帰郷。大正7年大分県津久見の農業会技師となりミカン栽培の改良着手。栽培法の向上や品種改良をはかり、小ミカンが中心であった同地方に温州ミカンを定着させた。また、津久見産業組合や柑橘出荷組合を設立して関西方面へ販路を拡大。次いで昭和5年には県の柑橘試験場を再興するなど、大分県における柑橘栽培業の基盤を固めた。戦後は大分県柑橘協会長や津久見市助役などを歴任した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宮本佐四郎」の解説

宮本佐四郎 みやもと-さしろう

1893-1962 大正-昭和時代の園芸家。
明治26年3月16日生まれ。岡山県の大原農業研究所にはいり,ミカン栽培に関心をもつ。大正7年大分県津久見町農会技師,14年津久見産業組合を設立。津久見ミカンの栽培法の改良,販路開拓につくした。昭和25年県柑橘(かんきつ)協会長。昭和37年4月14日死去。69歳。大分県出身。東国東(ひがしくにさき)実業学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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