朝日日本歴史人物事典 「宮永正運」の解説
宮永正運
生年:享保17.1.25(1732.2.20)
江戸中・後期の豪農,農学者。名は十左衛門ともいう。越中国礪波郡下川崎村(富山県小矢部市)の豪農の家に生まれ,学問を好み,幅広い教養を身につけた。また藩より種々の役職を命じられて活躍するなど,地方の指導者として多彩な人生を送った。しかし単なる学者,役人ではなく,農業の実際にも詳しく,『荒年救食誌』『養蚕私記』(いずれも1785)などいくつかの農書を著したが,特に天明8(1788)年ごろに書いた『私家農業談』は村役人層に幅広く読まれた。その子,正好も『私家農業談』の補遺として『農業談拾遺雑録』を著したほか,宮永家からは多くの逸材が出ている。<参考文献>広瀬久雄・米原寛「『私家農業談』現代語訳・解題」(『日本農書全集』6巻),清水隆久『近世北陸農業史』
(松村敏)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報