日本歴史地名大系 「宮淵村」の解説 宮淵村みやぶちむら 茨城県:龍ケ崎市宮淵村[現在地名]龍ケ崎市宮淵町標高約四メートルの沖積低地にあり、西は大徳(だいとく)村、南は生板(まないた)村(現稲敷郡河内村)。村の南西に千秋(せんあき)・北河原(きたがわら)などの飛地がある。村落の形成は、小貝(こかい)川の砂洲形成が進んだ戦国期と思われ、元和二年(一六一六)の検地で村高五六八石余となる(「検地控」中村家文書)。寛永年間(一六二四―四四)の小貝川の流路変更によって開発が進み、元禄郷帳の村高は一千一二石余と増加するが、千秋集落の成立もこの頃と思われる。嘉永六年(一八五三)には村高一千一二石余、うち千秋分が三八石余(「常陸国村高村名郡付覚帳」塚本家文書)。領主の交替が頻繁に行われ、寛文三年―嘉永元年(一六六三―一八四八)の間に代官を含めて四四名が交替した(中村家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by