宮里庄・宮里保(読み)みやざとのしよう・みやざとほ

日本歴史地名大系 「宮里庄・宮里保」の解説

宮里庄・宮里保
みやざとのしよう・みやざとほ

いずれも古代の和泉郡池田いけだ(和名抄)に成立したもので、近世国分こくぶ村・平井ひらい村・黒石くろいし村の三村を宮里とよんでいるので(泉州志)、そのいずれかに所在したと推定される。なお奈良興福寺松林院領時代の宮里保は、宮里郷・宮郷庄・宮里庄などともよばれた。保安四年(一一二三)頃珍光時と酒人兼貞が池田郷内の散在田畑について争論したが、その時の争論地が「池田郷宮村宮里」のうち三坪内三反の地と、「宮村字脇内」の田三反二四〇歩であった(年月日未詳「兼貞珍光時論田勘注案」近衛家本「知信記」天治二年至五年巻裏文書)。光時の提出した証拠文書中、天永三年(一一一二)の和泉守有成朝臣書状には、主税頭領宮村とみえ、この頃池田郷宮村は民部省所管の主税寮長官領であった。これは承和六年(八三九)当地の安楽あんらく寺が国分寺とされており、国分寺料五千束と定められていた(「延喜式」主税)ことから主税寮との関係が深かったことによるものだろう。文永一二年(一二七五)幕府御家人中原公員は相伝の「池田郷宮里庄之内」の山林を一五貫文で松尾まつお寺に売渡した。その四至は「限東谷得任領、限南虫河山登道、限西松尾寺領、限北池 但中池也」であった(同年三月日「中原公員山林売券」松尾寺文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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