伊勢貞宗(読み)いせさだむね

改訂新版 世界大百科事典 「伊勢貞宗」の意味・わかりやすい解説

伊勢貞宗 (いせさだむね)
生没年:1444-1509(文安1-永正6)

室町後期の武将。9代将軍足利義尚養育にあたり親父と称される。幕府の職制では父貞親の失脚により政所執事に補任され,御内書の右筆御供衆を務め,応仁の乱後の幕政の中心人物であった。1487年(長享1)山城守護に補されたともいうが確証を欠く。武家故実に精通し《伊勢貞宗故実記》《犬追物検見故実》《公方様御内書案文》などを著した。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊勢貞宗」の解説

伊勢貞宗 いせ-さだむね

1444-1509 室町-戦国時代の武将,有職(ゆうそく)家。
文安元年5月4日生まれ。伊勢貞親(さだちか)の子。文正(ぶんしょう)元年父の京都出奔(しゅっぽん)により家督をつぎ,応仁(おうにん)の乱では細川勝元方に属する。かつて養育係をつとめた将軍足利義尚(よしひさ)を政所(まんどころ)執事として補佐し,しだいに権力を拡大する。伊勢流故実を大成し,連歌にもすぐれた。永正(えいしょう)6年10月28日死去。66歳。号は常安。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「伊勢貞宗」の解説

伊勢貞宗
いせさだむね

1444~1509.10.28

室町中期~戦国期の武将。貞親の子。七郎。兵庫頭・備中守・伊勢守。法名常安。文正の政変で父が没落すると,将軍足利義政の命で家督を継承。応仁・文明の乱では終始東軍に属した。1471年(文明3)政所執事。足利義尚(よしひさ)の養育者として,将軍義尚幼時の補佐役を勤めた。諸芸・礼式に通じ,後世,武家礼式の規範とされた伊勢流故実の大成者と評価される。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「伊勢貞宗」の意味・わかりやすい解説

伊勢貞宗
いせさだむね

[生]?
[没]永正6(1509).10.28. 京都
室町幕府の奉行人。政所執事貞親の子。父貞親が諸将反感を受けて近江に逃走してのち,その領地を給せられ,跡を継ぎ,兵庫頭,従四位上,侍従に進み,政所執事となる。応仁の乱においては細川勝元方に属して戦った。有職故実に通じ,著書に『伊勢兵庫頭貞宗記』『犬追物八廻日記』などがある。

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367日誕生日大事典 「伊勢貞宗」の解説

伊勢貞宗 (いせさだむね)

生年月日:1444年5月4日
室町時代;戦国時代の幕府吏僚;政所執事
1509年没

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