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伊勢貞宗 いせさだむね

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

伊勢貞宗
いせさだむね

[生]?
[没]永正6(1509).10.28. 京都
室町幕府の奉行人。政所執事貞親の子。父貞親が諸将の反感を受けて近江に逃走してのち,その領地を給せられ,跡を継ぎ,兵庫頭,従四位上,侍従に進み,政所執事となる。応仁の乱においては細川勝元方に属して戦った。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

伊勢貞宗 いせ-さだむね

1444-1509 室町-戦国時代の武将,有職(ゆうそく)家。
文安元年5月4日生まれ。伊勢貞親(さだちか)の子。文正(ぶんしょう)元年父の京都出奔(しゅっぽん)により家督をつぎ,応仁(おうにん)の乱では細川勝元方に属する。かつて養育係をつとめた将軍足利義尚(よしひさ)を政所(まんどころ)執事として補佐し,しだいに権力を拡大する。伊勢流故実を大成し,連歌にもすぐれた。永正(えいしょう)6年10月28日死去。66歳。号は常安。

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朝日日本歴史人物事典の解説

伊勢貞宗

没年:永正6.10.28(1509.12.9)
生年:文安1(1444)
室町・戦国時代の幕府吏僚。貞親の子。七郎,兵庫頭,備中守,伊勢守。従四位下。法名常安。文正の政変(1466)で父が失脚したのち家を継ぎ,文明3(1471)年政所執事に就任。当時幕府財政と将軍の家産は足利義政の妻日野富子が掌握していたので貞宗の権限は小さかったが,慣例により世子義尚の養育に当たり,義尚成人後は漸次権勢を拡大した。延徳2(1490)年に息貞陸に執事を譲ってのちもその後見として隠然たる勢力を振るい,富子,細川政元らに協力して明応2(1493)年9月には山城国一揆を解体させ,政元政権の専制化に道を開いた。

(今谷明)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

いせさだむね【伊勢貞宗】

1444‐1509(文安1‐永正6)
室町後期の武将。9代将軍足利義尚の養育にあたり親父と称される。幕府の職制では父貞親の失脚により政所執事に補任され,御内書の右筆や御供衆を務め,応仁の乱後の幕政の中心人物であった。1487年(長享1)山城守護に補されたともいうが確証を欠く。武家故実に精通し《伊勢貞宗故実記》《犬追物検見故実》《公方様御内書案文》などを著した。【鳥居 和之】

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