日本歴史地名大系 「宿南村」の解説 宿南村しゆくなみむら 兵庫県:養父郡八鹿町宿南村[現在地名]八鹿町宿南下小田(しもおだ)村の北、八木(やぎ)川の中流左岸に位置し、北は浅倉(あさくら)村・赤崎(あかさき)村(現日高町)。寄宮(よのみや)・町(まち)・川東(かわひがし)・川西(かわにし)・門前(もんぜん)の五つの集落からなる。うち町集落は古く北方の円山(まるやま)川沿いに位置していたが、たびたび洪水に見舞われたため、江戸中期頃から山麓の現在地に移転したという。また下小田・三谷(みたに)・青山(あおやま)・浅倉・赤崎の五ヵ村はもと当村の一部であったが、元和年間(一六一五―二四)の検地のときに村切され、それぞれ一村になったと考えられる。延宝九年(一六八一)当村から浅間(あさま)村にかけて広がる荒野を開発して伊佐(いざ)村(伊佐新田)が開かれた。貞享三年(一六八六)には洪水で玉見(たまみ)村(現養父町)玉水(たまみず)神社の社殿が当地に漂着、村人は同所に新たに社殿を築き、寄宮神社として祀っていたが、のち同社周辺に居を構えるものが増え、寄宮の集落となったと伝える(八鹿町史)。近世の領主の変遷は上網場(かみなんば)村に同じ。慶長一八年(一六一三)の小出吉英所領目録(金井文書)に村名がみえ、高一千一八石余、ただし、この高には前述下小田・三谷・青山・浅倉・赤崎の五ヵ村の高が含まれていたと思われる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by