富具郷(読み)ふぐごう

日本歴史地名大系 「富具郷」の解説

富具郷
ふぐごう

和名抄」元和古活字本に「富具」とみえ、高山寺本・東急本は「冨具」と記し、ともに訓を欠く。当郷の初見は平城宮出土木簡に「(富カ)具郷野間里和尓部臣牟良御調塩」「(平カ)元年十月十九日郷長和尓部安倍」とみえるもので、上部を欠くが、天平元年(七二九)に、冨具郷から貢進された調塩に付けられた付札として間違いないものである。また同じく平城宮出土木簡に「尾張国知多郡富具郷野間(里カ)」「塩三斗 十月五日」とあるものや、「冨具郷(カ)一斗」と記されるものが知られる。前者郷里の表記をもつことから、八世紀初頭、後者は八世紀後半のものと推定される。

郷域について、「大日本地名辞書」は現常滑とこなめ市南端から知多郡美浜みはま町および南知多みなみちた町の内海うつみを含む伊勢湾岸一帯比定する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む