20世紀日本人名事典 「富岡定俊」の解説 富岡 定俊トミオカ サダトシ 昭和期の海軍少将,男爵 海軍軍令部第一部長;史料調査会理事長。 生年明治30(1897)年3月8日 没年昭和45(1970)年12月7日 出生地長野県 学歴〔年〕海兵(第45期)〔大正6年〕卒,海大(第27期)〔昭和4年〕卒 経歴昭和初期に海大を出てから主として軍令部畑を歩いたが、18、19年にかけては連合艦隊最後の旗艦大淀の艦長だった。19年暮れからは豊田副武総長、大西滝次郎次長のもとで終戦まで軍令部第1部長を務め、合理主義派として精神派の大西としばしば衝突していたという。戦後は第二復員省史実部長のあと、史料調査会を設立して理事長となり、海軍史資料の収集、保存、研究に努める一方、海上自衛隊の創設に尽力している。著書に「開戦と終戦」など。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「富岡定俊」の解説 富岡定俊 とみおか-さだとし 1897-1970 昭和時代前期の軍人。明治30年3月8日生まれ。富岡定恭(さだやす)の長男。昭和15年軍令部作戦課長となり,対米英作戦を準備する。18年海軍少将。19年軍令部第一部長。戦後は史料調査会理事長。昭和45年12月7日死去。73歳。長野県出身。海軍大学校卒。著作に「開戦と終戦」。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「富岡定俊」の解説 富岡 定俊 (とみおか さだとし) 生年月日:1897年3月8日昭和時代の海軍軍人。海軍軍令部第一部長;史料調査会理事長1970年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by