朝日日本歴史人物事典 「富岡定恭」の解説
富岡定恭
生年:安政1.11.5(1854.12.24)
明治期の海軍軍人。松代藩(長野県)藩士富岡宗三郎の長男。藩時代にフランス語,洋式兵学を学び,明治4(1871)年海軍兵学寮に入り,卒業後約2年英艦に乗艦,士官教程,砲術を修めた。11年海軍兵学校勤務となり,日本最初の水雷戦術書『水雷新論』を著し,以来水雷,砲術関係を専門とした。18年日本海軍初の夜間信号灯を案出,19年艦政局兵器課,20年から約4年間「松島」「厳島」「橋立」用の32センチ砲の注文と工事監督および兵器調査のため英仏に出張した。日清戦争(1894~95)では威海衛作戦などに参加,また清国側の水雷艇を捕獲した。日露戦争(1904~05)中は海軍兵学校長,戦後は中将に進み,41年には旅順鎮守府司令長官。<参考文献>富岡定俊『開戦と終戦』
(田浦雅徳)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報