富波沢村(読み)とばさわむら

日本歴史地名大系 「富波沢村」の解説

富波沢村
とばさわむら

[現在地名]野洲町富波乙とばおつ

新町しんまち村の南にある。集落は中央部を横切る朝鮮人街道沿いに集中、街道両側の家並裏には水路が走る。北の永原ながはら村・新町村から連続する整然とした家並と計画的な町並は、織田信長の近江侵入以後に行われた街道整備に伴う移住によるものか。新町に対して古富波ことばともいうが、家並西方にも古富波の小字があり、その地が移住前の集落であった可能性もある。十之坪じゆのつぼなどの地名や地割に、古代条里の名残がみられる。天正一九年(一五九一)四月の徳川家康知行目録写(大谷文書)に富波内沢村とみえ九四〇石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む