日本歴史地名大系 「富田中村」の解説
富田中村
とみだなかむら
慶長七年(一六〇二)の検地帳(有馬文書)によると、田方四四町余・高五一九石余、畑方二六町五反余・高一五五石余。検地帳記載人数五五人で、うち五石以下が二二人、二〇石以上が一二人、最大は有馬与兵衛の七四石である。自己の持高だけでは生活できないと思われる小農が四割を占め、また検地帳に登録されず、大高持百姓に隷属している下人・名子もかなり存在したと考えられる。寛永七年の畑方検地帳では、畝数三七町六反余・高一四八石余で、慶長七年の畑方に比べて、面積は一一町余増えているのに高は六石余減少している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報