日本歴史地名大系 「富田西村」の解説 富田西村とみだにしむら 香川県:大川郡大川町富田西村[現在地名]大川町富田西富田中(とみだなか)村の西に位置し、津田(つだ)川とその支流古(ふる)川流域に平地が開ける。四世紀中頃の古枝(ふるえだ)古墳、五―六世紀頃の大井(おおい)古墳群がある。平安末期に成立した富田庄に含まれる。康永三年(一三四四)八月七日の足利直義下知状(善通寺文書)によると、二位家法華堂領造田(ぞうだ)庄(現長尾町)を押妨した国人のなかに大井紀四郎高綱がいる。村内大井に住した有力武士と思われる。戦国時代には大井城に富田光輝が拠った。光輝は安富氏に仕え、昼寝(ひるね)城(現長尾町)の寒川氏攻めに功を挙げ、「寒川郡西村のうち南は大道より北は天神山、西は遊原より東は横山まで」(「富田家系図」富田文書)を賜ったと伝える。「讃陽古城記」には津田市之進の屋敷が城跡であると記す。「讃岐国名勝図会」には安富弥三郎の居城として西村(にしむら)城を載せる。寛永国絵図の富田郷のうち大井・筒野(つつの)・西村・扁良我(へらわれ)が富田西村となった。扁良我は現平砕(ひらわれ)のこととみられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by