富田松山城跡(読み)とだまつやまじようあと

日本歴史地名大系 「富田松山城跡」の解説

富田松山城跡
とだまつやまじようあと

[現在地名]備前市東片上

富田松山山塊の西端山頂に築かれた輪郭式山城。西側に見下ろす片上かたかみ港は古代より繁栄し、片上は山陽道の宿でもある海陸の交通の要衝であった。(土)田松だまつ城ともよばれる。

築城時期などは不明であるが、「備前軍記」文明一五年(一四八三)の福岡合戦の記事にみえる「片上」を当城とする説がある。同書や「備陽記」などによると、浦上村宗の死後三人の兄弟は不和となり、当主の政宗と離反した三男国秀が当城に拠った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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