寒川湊
さんがみなと
[現在地名]中央区寒川町など
江戸湾に注ぐ都川河口部にあった湊。漁港でもあったが、佐倉藩の年貢米などを津出しする河岸が置かれ、とくに同藩の文政四年(一八二一)の改革に伴い、それまで領内年貢米を佐倉城下の椎木蔵と寒川蔵の双方に納入し津出ししていたのをほぼ寒川に統一することにしたため、重要な津出湊となった。延享三年(一七四六)当時同藩の寒川蔵は約二千坪(縦五七間・横三五間)の地に五棟の蔵が建てられ(うち一棟は松平左近将監の代に潰蔵となる)、五大力百姓船四〇艘・押送船二〇艘・名主船一艘・妙見祭礼船一艘があった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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