朝日日本歴史人物事典 「寺地強平」の解説
寺地強平
生年:文化6(1809)
幕末明治期の蘭方医。福山藩士寺地幸助の次男。名は豊,字は子享,号は舟里。緒方洪庵と親交があり,福山藩主阿部正弘(幕府老中)に重用されて江戸の藩校誠之館に洋学科を創立させ,教授となる。安政2(1855)年8月関藤藤陰と北海道・択捉諸島を視察して開拓説を具申した。医学,理化学,本草学,西洋砲術に詳しく,福山地方に種痘を普及させたことでも知られる。明治3(1870)年には福山藩医学校付属同仁館病院長に就任した。<著作>『大砲使用軌範』『養生論』<参考文献>阪谷素「舟里寺地先生碑」(福山公園),『福山市史』中,『富士川游著作集』7巻
(江川義雄)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報