共同通信ニュース用語解説 「トンガ」の解説
トンガ
南太平洋に浮かぶ王国。島の総面積は対馬とほぼ同じ700平方キロ余りで、約10万5千人の人口は大半がポリネシア系。7割は首都ヌクアロファがあるトンガタプ島に住む。言語はトンガ語と英語。1845年に国王ツポウ1世が全土を統一後、1900年から英保護領となり、70年に独立した。主要産業は農業で、日本にもカボチャなどを輸出する。
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南太平洋に浮かぶ王国。島の総面積は対馬とほぼ同じ700平方キロ余りで、約10万5千人の人口は大半がポリネシア系。7割は首都ヌクアロファがあるトンガタプ島に住む。言語はトンガ語と英語。1845年に国王ツポウ1世が全土を統一後、1900年から英保護領となり、70年に独立した。主要産業は農業で、日本にもカボチャなどを輸出する。
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太平洋南西部、日付変更線のすぐ西側(南緯約20度・西経約175度)に位置するポリネシア唯一の王国。トンガ海溝に沿って、その西側に南北に連なる諸島をトンガ諸島といい、この諸島をあわせて1970年にトンガ王国Kingdom of Tongaが公式に独立国となった。人口10万1000(2003年推計)、10万3252(2011年国勢調査)。首都はトンガタプ島のヌクアロファ。
地形上から、北部のババウ諸島、中部のハアパイ諸島、南部のトンガタプ諸島の3群に分けることができる。約170の島のうち、約40島に住民がいる。最北のニウアトプタプNiuatoputapu島から最南のエウア'Eua島まで560キロメートル、水域は25万9000平方キロメートルに及ぶが、陸地面積は合計749平方キロメートルにすぎない。
[大島襄二・山本真鳥・比嘉夏子]
大部分の島は隆起サンゴ礁であるが、西部は火山列となっている。ハアパイ諸島西部のカオKao島は諸島中の最高峰(1125メートル)の、コニーデ型の美しい山容をもつ火山島。ほかに、18世紀以来水面上への出現と水没を繰り返し、1927年の噴火(爆発)で標高118メートルとなったファルコンFalcon島、頂上に広い火口湖をもち、1946年の噴火で1300人の住民立ち退きを余儀なくされたニウアフォオウNiuafo'ou島などのような活火山も多い。
[大島襄二・山本真鳥・比嘉夏子]
初めてヨーロッパ人が渡来したのは1616年である。その後、1773年および1777年とイギリスの探検家ジェームス・クックが2度来島し、友好を記念してハアパイ諸島を中心にしたこの島々をフレンドリー諸島と命名した。一方で、皮肉にもその滞在中に彼を暗殺する陰謀が進行していたが、結果として未遂に終わった。1822年にキリスト教ウェスリー派(プロテスタント・メソジスト派)の宣教師が入島し、1831年にハアパイ諸島の王タウファアハウTaufa'ahauが受洗し、1845年にジョージ・ツポウGeorge Tupou1世となった。その後トンガを統一したジョージ・ツポウ1世は、イギリス人宣教師の助言を受けて1875年に憲法を制定し、近代国家を設立した。1900年にはイギリスの保護領となったが、1970年に完全に独立した。20世紀終わりごろからは海外移民の急増など社会経済情勢の変化を受けて、民主化への動きが進んでいる。
[比嘉夏子]
1875年の統一国家形成および憲法制定以降、国王を頂点とする立憲君主国として政治的安定が維持されてきた。しかし最高権力者である国王および国王が任命する枢密院が実質的な行政権を有し、議会制度においても貴族の特権が認められてきたことから、人口の大半を占める平民の政治参加は大幅に制約されていた。1980年代以降には王族・政府による汚職事件や情報の隠蔽(いんぺい)に対する不満も高まり、平民代表議員を中心として民主化運動が活発化した。
2006年9月に父であった前国王ジョージ・ツポウ4世の死去に伴い王位を継承した国王ジョージ・ツポウ5世は、2008年8月に戴冠式(たいかんしき)を行ったが、公務員ストライキ(2005)や首都中心部に壊滅的な被害を与えたヌクアロファ暴動(2006)など、国民による民主化への要求を受けて、国王の権限の多くを議会に移譲することを宣言した。その後の憲法改正論議の結果、2010年の選挙では人民代表議員の議席数がそれまでの9議席(貴族代表議席数と同数)から17議席へと増大し、議員投票によってトゥイバカノLord Tu'ivakano(1952― )が初めて国会で選出された首相として就任した。2014年11月には新制度化で二度目の選挙が行われ、同年12月にポヒバHon. Samuela 'Akilisi Pohiva(1941― )が首相に就任した。2012年3月18日国王ジョージ・ツポウ5世死去により、同年ラバカ王太子が王位を継承してツポウ6世となり、2015年7月に戴冠式を行った。
政体は国王を元首とする立憲君主制。議会は一院制で、議席数は38(閣僚10および知事2、貴族代表議員9[貴族による選出]、人民代表議員17[平民による選出])、任期は3年である。
[比嘉夏子]
国家経済は諸外国の援助および移民からの送金に大きく依存している。主要産業である農業は小規模で営まれ、イモ類などの自給作物の生産が主である。従来の輸出作物であるコプラ(ココヤシの果実の胚乳を乾燥させたもの)、バナナ、スイカ、イモ類に加え、1980年代以降は端境期を利用して日本に輸出するカボチャの生産が盛んになったが、輸出量の増減が激しく、産業としては不安定である。漁業は日本、オーストラリア、ニュージーランドの援助で企業化が進められ、新しい産業として期待されている。
2010年の主要輸出相手国はニュージーランド、アメリカ合衆国、日本で、主要輸出産品は魚類、カバ(コショウ科の植物カバの根を砕き、水に浸してつくったポリネシアの伝統的飲料。成分に鎮静作用がある)、カボチャ、イモ類、バニラなどである。主要輸入相手国はニュージーランド、オーストラリア、フィジーなどで、主要輸入産品は食料、飲料、家畜、機械・器機などである。外貨獲得手段として観光業の振興にも力を入れている。通貨単位はパアンガPa'anga(TOP)。
[比嘉夏子]
2011年の国勢調査では、首都ヌクアロファのあるトンガタプ島に7万5416人、ババウ諸島に1万4922人、ハアパイ諸島に6616人、そのほかの島々に6298人が居住している。人種構成は、トンガ人が97.5%を占める。トンガ人は人種的、文化的にもポリネシア系で、淡褐色の皮膚と波状毛をもち、体格は大柄である。オーストロネシア語族ポリネシア諸語の一つであるトンガ語に並び、英語も公用語である。西欧社会と接触する以前に、すでに頂点に王をいただくピラミッド型の位階が定められた首長制統一国家を実現していた。19世紀に入ってから位階制が崩れて一時は戦国時代となったが、王族と宣教師が結託して統一が成し遂げられて以来、さまざまな近代化が進められた。かつての首長制は国王/貴族/平民からなる階層社会へと移行し、憲法によって国王の絶対的な権力は保障された。国土は国王の直轄地、貴族所有地、政府所有地に分かれ、16歳以上の男性すべてに農耕地および宅地を割り当てることが憲法で定められているが、近年は人口増加に伴う土地不足が深刻になっている。
宗教はキリスト教が18世紀後半から普及し、国民の多くが敬虔(けいけん)なクリスチャン(メソジストが5割以上)である。政治や教育の制度については早くから近代化を遂げた一方で、身分に基づいた礼儀が重んじられたり、カバ飲用が愛好され、タパ(樹皮布)が盛んに生産されたりするなど、伝統的な社会制度や文化が残されている部分も多い。近年ではニュージーランド、オーストラリア、アメリカ合衆国への移民が増加し、移民先国で第二、第三世代を含む移民コミュニティが拡大している。
義務教育の年齢は5~17歳であり、初等教育6年および中等教育5年が含まれる。中等教育以上はすべて英語によって授業が行われる。また中等教育機関はその大半が教会によって運営されている。高等教育機関は教員養成学校などがいくつか存在するが、人々の教育への関心は高く、海外の大学へ進学し学位を取得する者も多い。
[比嘉夏子]
日本はトンガへの主要援助国の一つとして同国の経済、とくにインフラ整備に大きく寄与しており、国民は親日的である。またオセアニアに現存する唯一の王国として、トンガ王室と日本の皇室の交流もある。トンガから日本へカボチャの輸出、日本からは中古車の輸入といった貿易関係があるほか、来日してラグビーなどのスポーツ分野で活躍するトンガ人も増えている。2009年(平成21)には在トンガ日本大使館が開設された。
[比嘉夏子]
南部アフリカ、モザンビーク南部に住むバントゥー系諸族の一つ。人口は関連する諸部族をあわせて100万を超える。トウモロコシ、ソルガムそのほか雑穀類をおもに栽培する農耕民であるが、家畜も経済的に重要である。出自は父系をたどり、父系リネージ(系族)を核とした集落に暮らしている。多数の首長国に分かれ、それぞれの首長国は、1人の最高首長と、最高首長が住む宮廷がある主都をもっていた。最高首長は神聖王としての性格をもち、国土の繁栄に責任をもち、数々の禁忌(タブー)に取り巻かれていた。最高首長の健康状態は国土の繁栄に直接かかわっていると信じられていたため、肉体的に衰えを示すと、歯が1本抜けただけのことでも、首長は儀礼的に殺されねばならなかった。
アフリカにはトンガとよばれる社会集団がほかに二つある。ザンベジ川地方のトンガは母系の無頭型社会(統治機構をもたない社会)、マラウイ湖の湖岸トンガも同じく母系である。三つのトンガ社会の間には類縁関係はみられない。
[濱本 満]
基本情報
正式名称=トンガ王国Kingdom of Tonga
面積=747km2
人口(2011)=10万人
首都=ヌクアロファNukualofa(日本との時差=+4時間)
主要言語=トンガ語,英語
通貨=パアンガPa'anga
南太平洋,ポリネシアにある王国。
トンガ諸島は南北に走る2列の山脈からなっている。太平洋の深い海底から隆起しているこの山脈は,西側ではトフア,ラテなどの高い島となって海面上にそびえるが,東側ではそれより低く,山頂をサンゴ礁が覆っている。さらにその東側は急速に落ち込み,水深1万mに及ぶトンガ海溝を形成している。島の数は150以上に及ぶが,人の住んでいる島は36で,ほとんど東側に属している。
諸島は北部のババウ,中部のハアパイ,南部のトンガタプの3群に大別される。最大の島は首都ヌクアロファのあるトンガタプ島で,面積256km2,全人口の4分の1が住む。年平均気温は南部で23℃,北部で27℃。1月から6月までが雨季で,平均年降水量は南部で約1600mm,北部で約2000mmである。ときおり熱帯性低気圧に襲われ,大きな被害がある。年間を通じて南東貿易風の影響下にあり,緯度のわりに気候は温暖で快適である。
トンガ人はポリネシア人で,前10世紀ころまでに西方からこの地に移住したと考えられ,ポリネシアの中ではサモアとともに最も古い歴史を有している。トンガ人は長身で肥満する傾向があり,皮膚は褐色,髪は黒色で波状毛である。
トンガがトゥイ・トンガによって統一されたのは10世紀半ばと推定される。15世紀,第24代のトゥイ・トンガの時代にトゥイ・ハアタカラウア王朝が分かれ,世俗的職務を分掌した。さらに17世紀初め,トゥイ・ハアタカラウアからトゥイ・カノクポルが分かれ,やがてこの王朝が実質的な権力を握った。現国王トゥポウ4世はこの王朝の系統を引いている。
トンガを3度(1773,74,77)訪れたJ.クックは,住民から親切なもてなしを受け,ハアパイ群島をフレンドリー・アイランズと名づけた。トゥポウ1世(在位1845-93)がキリスト教に改宗して以来,キリスト教は急速に広まり,現在ではほとんどの国民がキリスト教徒で,安息日は厳格に守られている。言語はトンガ語で,英語も公用語として用いられている。
住民の生業は農耕に依存し,ヤムイモ,タロイモ,バナナなどを主要食料としている。法律上ではすべての成年男子は一定の土地を分け与えられることになっているが,その実施上には多くの困難がある。カバ(コショウ科の木の根から絞り取った汁)は儀礼上重要である。
執筆者:青柳 真智子
1616年にオランダのW.スハウテンとJ.ル・メールの一行がトンガ諸島北部の島々を〈発見〉したのが,ヨーロッパ人による最初の知見であった。18世紀後半にはクックが3度訪れた。18世紀末から19世紀半ばにかけて内戦が続いたが,内戦に終止符を打ち,諸島を統一したのは1845年に即位したキリスト教徒のトゥポウ1世であった。王は75年に憲法を制定し,議会制度を導入した。しかしトゥポウ1世死後の1900年,イギリスが外交,国防,財政に責任をもつ保護領になり,この状態が70年6月4日の独立まで続いた。
政体は立憲君主制で,一院制の議会(任期3年)は貴族から選出された9人と,21歳以上の平民男子が選出する9人のほか,国王指名の閣僚12人で構成される。閣僚は退職年齢まで政務をとる。実質的には国王トゥポウ4世による専制政治で,首相はバエア男爵,外相はトゥポウトア皇太子。民主化を求める平民議員の数が少なく,ニュージーランドなどで高等教育を受ける若い世代は帰国せず,人材不足である。農産物加工や繊維産業のため商工業団地を造ったが,失業率が高く,海外への出稼者からの送金が国民の暮しを支えている。1人当りGNPは1630ドル(1995)で,南太平洋諸国のなかではかなり高い。
90年代に入って,季節の差を利用した日本へのカボチャの輸出が伸び,年間約1000万ドル,輸出の第1位を占め,貴重な外貨収入源となった。日本はまた第1位の援助国で,94年度までの無償援助,技術協力の総額は約113億円にのぼる。
執筆者:青木 公
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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南太平洋,ポリネシアのフィジーの南東に位置する王国。トンガタプ諸島など150以上の小島からなる。1616年に初めてヨーロッパ人が来航。18世紀末から19世紀半ばにかけて首長間の内戦が続いたが,1845年頃トゥポウ1世が国内を統一した。彼は当時としては珍しくキリスト教に改宗し,75年に立憲君主制をしいた。1900年5月にイギリスの保護領となり,70年,イギリスとの条約を改正して外交権を回復し,イギリス連邦の一員として独立した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…ポリネシア(同じく〈多数の島々〉の意)は,ほぼ180゜の経線以東の,北はハワイ,南西はニュージーランド,南東はイースター島を三つの頂点として描かれる,1辺およそ8000kmの巨大な三角形(ポリネシアン・トライアングルと呼びならわされている)に含まれる島々をさす。上記の3頂点に当たるもののほか,サモア,トンガ,ウォリス,エリス(ツバル),フェニックス,トケラウ,クック,ライン,ソシエテ,トゥブアイ(オーストラル),トゥアモトゥ,ガンビエ(マンガレバ),マルキーズ(マルケサス)の諸島がある。ミクロネシア(〈小さな島々〉の意)はほぼ赤道をはさんでメラネシアの北側にあたり,マリアナ,カロリン,マーシャル,ギルバート(キリバス)の諸島を含む。…
…正式名称=トンガ王国Kingdom of Tonga面積=747km2人口(1996)=10万人首都=ヌクアロファNukualofa(日本との時差=+4時間)主要言語=トンガ語,英語通貨=パアンガPa’anga南太平洋,ポリネシアにある王国。
[自然]
トンガ諸島は南北に走る2列の山脈からなっている。…
※「トンガ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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