朝日日本歴史人物事典 「寺島忠三郎」の解説
寺島忠三郎
生年:天保14(1843)
幕末の長州(萩)藩の志士。名は昌昭,字は子大,刀山と号す。長州藩無給通士寺島太次郎の次男として,周防国熊毛郡原村(熊毛町)に生まれる。人となり豪毅,大節あり。吉田松陰に学んで詩文,兵法に優れた。安政5(1858)年,松陰が入獄すると救護,減刑に向けて尽力,その至情は人を感ぜしめた。文久2(1862)年上京して尊王攘夷運動に奔走。翌3年には久坂玄瑞らと連署して,攘夷期限の決定を迫った。元治1(1864)年7月19日禁門の変の際,鷹司邸で諸藩兵に囲まれ玄瑞と共に自刃した。年22。
(三宅紹宣)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報