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寺島忠三郎 てらじま ちゅうざぶろう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

寺島忠三郎 てらじま-ちゅうざぶろう

1843-1864 幕末の武士。
天保(てんぽう)14年生まれ。寺島秋介(あきすけ)の弟。長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩士。吉田松陰の門下。京都で久坂玄瑞(くさか-げんずい)らと尊攘(そんじょう)運動に参加,長井雅楽(うた)の暗殺計画や横浜外国公使館焼き打ち事件にくわわる。禁門の変で元治(げんじ)元年7月19日自刃(じじん)した。22歳。名は昌昭。字(あざな)は子大。号は刀山など。変名は児島百之助,中島三郎など。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

寺島忠三郎

没年:元治1.7.19(1864.8.20)
生年:天保14(1843)
幕末の長州(萩)藩の志士。名は昌昭,字は子大,刀山と号す。長州藩無給通士寺島太次郎の次男として,周防国熊毛郡原村(熊毛町)に生まれる。人となり豪毅,大節あり。吉田松陰に学んで詩文,兵法に優れた。安政5(1858)年,松陰が入獄すると救護,減刑に向けて尽力,その至情は人を感ぜしめた。文久2(1862)年上京して尊王攘夷運動に奔走。翌3年には久坂玄瑞らと連署して,攘夷期限の決定を迫った。元治1(1864)年7月19日禁門の変の際,鷹司邸で諸藩兵に囲まれ玄瑞と共に自刃した。年22。

(三宅紹宣)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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