寺畑助之丞(読み)テラハタ スケノジョウ

20世紀日本人名事典 「寺畑助之丞」の解説

寺畑 助之丞
テラハタ スケノジョウ

大正・昭和期の彫刻家



生年
明治25(1892)年11月19日

没年
昭和45(1970)年6月6日

出生地
富山県高岡市伏木

学歴〔年〕
東京美術学校(現・東京芸術大学)彫刻科本科〔大正7年〕卒

経歴
大正9年朝鮮総督府技師となり、総督府新庁舎一般建築彫刻を担当する。朝鮮美術展覧会の第2回〜4回で評議員・審査員を、第5回で参与・審査員を務める。また東京高等工芸学校、東京工業専門学校の教授も務めた。構造社彫刻部会員だったが、昭和10年絵画部と彫刻部の分裂に伴い絵画部と活動を共にし、11年新たに新構造社を発足、彫刻部・工芸部の代表となる。この他、海軍省嘱託として勤務した他、興亜造型文化連盟常務理事、戦後は日本彫塑家クラブ理事、愛知県常滑日本陶芸研究所長などを務め、日本美術家連盟会長でもあった。代表作に「母と子」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「寺畑助之丞」の解説

寺畑助之丞 てらはた-すけのじょう

1892-1970 大正-昭和時代の彫刻家。
明治25年11月19日生まれ。大正9年朝鮮総督府技師となり,新庁舎の建築彫刻を担当。また朝鮮美術展の評議員をつとめた。構造社をへて,昭和11年新構造社を結成,彫刻・工芸部の代表となった。昭和45年6月6日死去。77歳。富山県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。作品に「母と子」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

ドクターイエロー

《〈和〉doctor+yellow》新幹線の区間を走行しながら線路状態などを点検する車両。監視カメラやレーザー式センサーを備え、時速250キロ以上で走行することができる。名称は、車体が黄色(イエロー)...

ドクターイエローの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android