寿県古墓(読み)じゅけんこぼ(英語表記)Shòu xiàn gǔ mù

改訂新版 世界大百科事典 「寿県古墓」の意味・わかりやすい解説

寿県古墓 (じゅけんこぼ)
Shòu xiàn gǔ mù

中国,安徽省寿県付近に存在する春秋戦国時代の蔡国と楚国の墓群。寿県は淮河と淝河の合流点の南岸に位置し,前493年に蔡国がここに遷都し,前241年には楚が都とするが,前223年に秦によって滅ぼされた。1955年に寿県城西門内で調査された前6~前5世紀に比定される墓は蔡の昭侯申の墓と思われ,正方形の竪穴木槨墓で,漆棺を納めていた。副葬品584点のうち486点が青銅器で,〈呉王光鑑〉〈蔡侯〉などの銘文のあるものが発見された。そのほか玉器文様を打ち出した金箔片も発見されている。1932年には寿県の東約22km,朱家集近くの李三孤堆と呼ばれる小丘で,戦国時代後期の楚墓が盗掘されている。盗掘のため正確な記録を欠くが,36年の李景聯の報告によるとこの墓は,封土をもつ長方形の竪穴木槨墓であったと推定される。副葬品の数は1000点を超えたと考えられるが,多くは海外に流出し,多くの文献に収録されている。出土品のなかで特に注目されるのは,〈楚王酓鼎〉〈楚王酓章剣〉〈楚王酓肯鼎〉の銘をもつ青銅器で,それぞれ楚の幽王,恵王,考烈王に比定され,前3世紀後半の標準遺物となっている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「寿県古墓」の意味・わかりやすい解説

寿県古墓
じゅけんこぼ
Shou-xian gu-mu

中国安徽省寿県に存在する春秋・戦国時代の墓葬群。この地は春秋初めに州来国の都で,のちに蔡が昭侯 26 (前 493) ~斉公4 (前 447) 年まで都とし,さらに楚が考烈王 22 (前 241) ~負芻5 (前 223) 年まで都とした。 1923年頃から多数の青銅器が出土して世界の注目を集めたが,32年に県城の東の朱家集李三孤堆で楚墓が盗掘され,多くの青銅器が出土した。また 55年には県城内北西隅で蔡侯墓が発見され,多くの青銅器や玉器が出土した。

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