出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…厲王の死後,子の宣王が即位し,一時王室の力を再興し,南進を企て,北方の蛮族の南下を阻止したが,王権の強化を急ぎ,再び貴族の不信を招いた。次の幽王は失政が多く,そのうえ,申皇后と太子宜臼を廃して,愛妾褒姒(ほうじ)を皇后,その子伯服を太子にしたため,前771年内乱が起き,その機に南下した北の犬戎によって幽王は殺され,周王朝は滅亡した。もとの太子宜臼は東の成周に逃れ,前770年即位して平王となった。…
…中国,西周の末王,幽王の妃。幽王は彼女を寵愛したために国を滅ぼしたとされる。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...