射手神社
いでじんじや
平垣内にあり、「伊水温故」は「長田庄 寺内村」とし、祭神を「本宮二坐 応神天皇 玉垂命」とする。「准后伊賀記」は「射手村 天武天皇勧請 射手森 有猿田彦 五保荒廃」と記し、射手村とは現社地より西へ約十数町、射手山の南麓の旧社地の辺りである。「三国地志」に「旧社地残敗ノ石垣、神木ノ銀杏等今尚存ス、近世マデ柏木川ノ中ニ鳥居礎石トテアリシガ、今ハ砂中ニ没シテミエズ」とある。「源平盛衰記」の「範頼・義経京入事」に、義経が長田村の花園の森を回って当社前に出、祭神をたずねたところ、「其までの事はいかでか知り候べき、いととは射手と書きて候なれ共申やすきにつけていとと申し候」と里人が答えた話がある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
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