尊勝寺村(読み)そんしようじむら

日本歴史地名大系 「尊勝寺村」の解説

尊勝寺村
そんしようじむら

[現在地名]浅井町尊勝寺・西野にしの

平塚ひらつか村の北西川左岸に位置。尊称寺村とも記した。西は枝郷西野村。地内には数詞坪地名の遺称である三十六さんじゆうろくが残り、本郷集落内を北国脇往還南北に通る。「輿地志略」に「尊勝寺の古跡なり、寺は敗亡して跡なし」と記す。元応元年(一三一九)一〇月の「日吉社領注進記」に「愛智郡尊勝寺領内八木」とみえ、長享元年(一四八七)八月二一日の室町幕府奉行人連署奉書(大徳寺文書)によれば「浅井庄尊勝寺領家分」の年貢諸公事を代官の違乱を退けて納めることが名主沙汰人中に命ぜられており、天文二年(一五三三)には「浅井郡尊勝寺領家分」が京都大徳寺養徳ようとく院に宛行われている(同年九月二七日「室町幕府奉行人連署奉書」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報