日本大百科全書(ニッポニカ) 「堀秀政」の意味・わかりやすい解説
堀秀政
ほりひでまさ
(1553―1590)
安土(あづち)桃山時代の武将。通称久太郎。曽祖父(そうそふ)の代から斎藤氏に仕え、美濃(みの)国茜部(あかなべ)(岐阜市)で誕生。のち織田信長に仕官。1577年(天正5)の紀伊雑賀(さいか)攻めに従軍。79年の安土宗論では浄厳院(じょうごんいん)を警固。80年安土城下の埋立地を宣教師の会堂と住院に与えた奉行人(ぶぎょうにん)の一人。81年伊賀平定作戦に従い、翌年甲州遠征に従軍。また安土城で徳川家康の接待役を勤める。山崎の合戦以後、羽柴(はしば)(豊臣(とよとみ))秀吉に属した。83年の賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いに功をたて、近江(おうみ)佐和山(さわやま)で9万石。翌年小牧(こまき)・長久手(ながくて)の戦いに家康の将榊原康政(さかきばらやすまさ)らを撃破。85年従(じゅ)四位下、侍従。左衛門督(さえもんのかみ)。羽柴の氏と豊臣の姓を受領。この年越前北庄(えちぜんきたのしょう)(福井市)に移封。小田原遠征の陣中で病死。墓は福井市の長福寺。
[奥野高広]