日本歴史地名大系 「小下倉村」の解説 小下倉村こしたぐらむら 宮城県:白石市小下倉村[現在地名]白石市小下倉西北は白石川で深谷(ふかや)村、西南は長袋(ながぶくろ)村、南は岩崎(いわさき)山で郡山(こおりやま)村、東はコツプウチ山などの丘陵で内親(うちおや)村と接する。白石川のつくる袋状沖積地にあり、地味も肥沃である。天文七年(一五三八)の段銭古帳に「八貫文 こし田くら」とある。「伊達正統世次考」の寛正二年(一四六一)八月二九日条によると、伊達家一一代持宗が大町氏に対し、「刈田郡内小下倉郷内吾子買地」の買地知行を安堵している。大町氏は世臣一族と称し、刈田(かつた)郡大町(おおまち)の郷主との説明がある。伊達氏天文の乱の頃には当地は小原掃部宗綱・大町七郎の領地が交錯し、両者ともに一時東党(稙宗派)に属したので、乱後知行関係が変わった。晴宗公采地下賜録によると、大町七郎は「同(刈田)せうこしたくらのうち、一ひようございけ」のみに削減。宗綱の所領は「かつたこしたくらの内、小原かもんあつかり」の地を残らず「つぼね申給(ママ)へ」とある女人へ預けられ、大町氏の一族同孫五郎へは「かつたこしたくらの内せき下一けん」などと知行替があった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by