小侍従局(読み)こじじゅうのつぼね

朝日日本歴史人物事典 「小侍従局」の解説

小侍従局

生年生没年不詳
安芸(広島県)の戦国大名毛利隆元(元就の子)の妻。尾崎局とも。内藤氏の娘。大内義隆養女となり,隆元と婚姻天文19(1550)年,元就は重臣井上一族の罪状16カ条を数えあげて討滅に持ち込み,一挙に領国支配体制を確立するが,そのときの罪状書は尾崎局に宛てたものであった。それは,井上氏征討の正当性を毛利家中はもちろん,大内家や内藤家にまで申し渡すためであったと考えられる。また彼女は内藤家家臣勝間田元信の跡目について,その弟の相続を承認する文書を残している。すでに生家は弟内藤隆春の代になっていたが,夫隆元の死後,法名妙寿の名で生家の家臣の跡目相続にまで関与していたことがわかる。<参考文献>『毛利家文書

(田端泰子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小侍従局」の解説

小侍従局 こじじゅうのつぼね

1529-1572 戦国時代,毛利隆元(たかもと)の妻。
享禄(きょうろく)2年生まれ。内藤興盛(おきもり)の娘。大内義隆の養女となり,毛利元就(もとなり)の嫡子隆元と結婚。隆元の領国経営をささえ,毛利,大内,内藤の各家間の意思疎通につとめた。天文(てんぶん)22年毛利輝元を生んだ。元亀(げんき)3年死去。44歳。尾崎局ともいう。法名は妙寿。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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