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沢庵宗彭 たくあん そうほう

美術人名辞典の解説

沢庵宗彭

江戸前期の臨済宗の僧。但馬出石生。法諱は初め季喜、のち宗彭道号沢庵。号は冥之・東海・暮翁等。俗姓は秋庭。泉南徳禅寺・南宗寺を経て大徳寺百五十三世に出世、住すること三日で退院し但馬宗鏡寺に隠棲した。寛永五年大徳寺に出世した玉隠宗知の勅許をめぐり幕府の忌諱に触れ、出羽上山に流されたが(紫衣事件)、のち赦されて帰洛後水尾天皇徳川家光の厚遇を受けた。家光の命により江戸品川の東海寺開山。詩歌・俳諧・書画・茶道にも通じた。正保2年(1645)寂、73才。

出典 (株)思文閣美術人名辞典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

沢庵宗彭 たくあん-そうほう

1573-1646* 織豊-江戸時代前期の僧。
天正(てんしょう)元年12月1日生まれ。臨済(りんざい)宗。10歳で出家し,春屋宗園(しゅんおく-そうえん)らに師事。一凍紹滴(いっとう-しょうてき)の法をつぐ。慶長14年大徳寺住持となる。寛永6年紫衣(しえ)事件で出羽(でわ)上山(山形県)に流罪となった。3年後ゆるされ,江戸品川に東海寺を創建した。正保(しょうほ)2年12月11日死去。73歳。但馬(たじま)(兵庫県)出身。俗姓は秋庭。著作に「沢庵和尚法語」「不動智神妙録」など。
【格言など】心をいずこにも止めぬが眼なり肝要なり

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

沢庵宗彭

没年:正保2.12.11(1646.1.27)
生年:天正1.12.1(1573.12.24)
江戸初期の臨済宗の僧。但馬国出石(兵庫県)に生まれ,同地の宗鏡寺内勝福寺で受戒し,京都に上り,大徳寺内三玄院に入る。文西洞仁に学問を学び,堺で一凍紹滴 に参じ沢庵の道号を与えられる。徳禅寺,南宗寺を経て大徳寺153世となるも,3日で退院し,堺,奈良,京都を遍歴し,但馬宗鏡寺の投淵軒に隠棲した。寛永5(1628)年大徳寺に出世した正隠宗知の勅許をめぐり,かねてより朝廷の寺社に対する権限の制限を定めていた幕府はこれを無効とし,翌6年沢庵は玉室宗珀らと共に幕府に対し抗議書を提出,これによって罪に問われ,出羽国上山(山形県)に流される(紫衣事件)。同9年許され,その後徳川家光の帰依を受け,また後水尾上皇に召されるなど江戸と京都を往反する。家光の命により品川東海寺の開山となる。<著作>『不動智神妙録』<参考文献>市川白弦『沢庵』(『日本の禅語録』13巻),船岡誠『沢庵』

(原田正俊)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

とっさの日本語便利帳の解説

沢庵宗彭

此世の人、来たとおもえば、苦労もなし。心に叶いたる食事にむかいては、よき馳走におもい、心に叶わぬ時も、客なれば、ほめて喰わねばならず。\沢庵宗彭(たくあんそうほう)
禅僧(一五七三~一六四六)。「人間はこの世にやってきたと思えば、苦労はないものだ。満足できる食事が出されたら、それを『ごちそうさま』といただけばよいし、満足できない時も、自分は客であるのだから、これを褒めて食べねばならない」。

出典 (株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」とっさの日本語便利帳について 情報

367日誕生日大事典の解説

沢庵宗彭 (たくあんそうほう)

生年月日:1573年12月1日
安土桃山時代;江戸時代前期の臨済宗の僧
1646年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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