ドライデン(読み)どらいでん(英語表記)John Dryden

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドライデン」の意味・わかりやすい解説

ドライデン
どらいでん
John Dryden
(1631―1700)

イギリスの詩人、劇作家批評家。8月9日、ノーサンプトンの牧師の家に生まれる。ケンブリッジ大学卒業後、1654年にクロムウェル共和政府に仕えた。王政復古のときにチャールズ2世を称賛する『正義の女神の帰還』(1661)を献じ、ロンドン大火と疫病流行、対オランダ戦争を題材とした『驚異の年』(1667)では、歴史上の身近な事件を大胆に虚構化した。社会的には、英国王立協会の特別会員として、言語表現の「数学的明晰(めいせき)さ」を理想とする国語改革委員会に属し、68年に桂冠(けいかん)詩人、70年には王室修史官に任命された。晩年の約10年間は不遇で、おもに翻訳に費やされ、ウェルギリウスチョーサーなどの近代語訳(1699)が生まれた。政治的、思想的な変革の激しいこの時代に、彼は極端を嫌い、思想と創作の両面で多様な実験を試みながら、時代とともに生き、時代を代表し、イギリス古典主義文学とその理論を確立した。その影響はアジソンやサミュエル・ジョンソン、M・アーノルドを経て、T・S・エリオットの再評価に至るまで、「イギリス文学批評の父」(ジョンソン)にふさわしいものであった。1700年5月1日にロンドンで没し、ウェストミンスター寺院に葬られた。

 創作活動の面では、1663年から約20年間は、演劇を中心とする多様な実験が試みられた。王政復古期の流行にあわせた喜劇当世風の結婚』(1673)、無韻詩(ブランクバース)の悲劇『すべてを恋に』(1678)、『失楽園』(1667)をオペラ的手法で表現した『無垢(むく)の状態』(1674)などの多彩な作品が発表されたが、人間関係や演劇論の面では論争や確執の多い時期でもあった。『アブサロムとアキトフェル』(1681)から約10年間は、本領とする政治風刺と論争の時期で、傑作『マックフレクノー』(1682)、イングランド教会を弁護する『平信徒の宗教』(1682)、動物寓話(ぐうわ)の形式でカトリックを弁護する『牝鹿(めじか)と豹(ひょう)』(1687)などの詩が書かれた。

 批評の面では、序詞や終わり口上、『劇詩論』(1668)などを中心として豊饒(ほうじょう)な知的関心を示し、スウィフトに至る「古代と近代の優劣論争」の流れのなかで、近代の優位を認めながらも、古典やシェークスピアを模範として、国民的自覚にたつ古典主義文学論を展開した。翻訳論や風刺詩論などにみられる強靭(きょうじん)な批評精神は、現代においても、なお高度の水準と説得力を保っている。

[樋渡雅弘]

『加納秀夫訳『世界名詩集大成9 驚異の年』(1959・平凡社)』『小津次郎訳『世界文学全集96 劇詩論(抄)』(1940・筑摩書房)』『竹友乕雄著『ドライデン』(1938/新版・1980・研究社出版)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドライデン」の意味・わかりやすい解説

ドライデン
Dryden, John

[生]1631.8.9. ノーサンプトンシャー,アーニクル
[没]1700.5.1. ロンドン
イギリスの詩人,劇作家,批評家。清教徒の家に生れ,ケンブリッジ大学を卒業。共和政府を支持したが,王政に復帰するや王党に転じ,チャールズ2世をたたえる『星姫再臨』 Astraea Redux (1660) を書くなど,政治的節操に欠けるところはあったが,対オランダ戦やロンドン大火のあった 1666年を歌った『驚異の年──1666年』 Annus Mirabilis: the Year of wonders 1666 (67) は傑出した詩である。そのほか政治風刺詩『アブサロムとアキトフェル』 Absalom and Achitophel (81) ,新教支持の『平信徒の宗教』 Religio Laici (82) ,カトリック支持の『雌鹿と豹』 The Hind and the Panther (87) など,これまた節操を疑われるとはいえ,知性派詩人としての本領を発揮した作品になっている。彼はまた劇壇の大立て者でもあり,『当世風結婚』 Marriage-à-la-Mode (72) のような軽い喜劇も成功したが,劇作家として彼を偉大ならしめるものは,ヒロイック・カプレットを用いた「英雄劇」であり,『インディアンの皇帝』 The Indian Emperor (65) ,『グラナダの征服』 The Conquest of Granada (70) などが代表作。しかし無韻詩で書いた『至上の恋』 All for Love (77) もすぐれた悲劇であり,シェークスピアの『アントニーとクレオパトラ』と同じ題材を用いた彼の意気込みが感じられる。ドライデンは S.ジョンソンが「イギリス批評の父」と呼んだほどに批評家としてもすぐれた業績を残したが,代表作は4人の会話体をとって,当時の文壇劇壇で中心課題となっていた古代と近代の比較,英仏演劇の優劣,脚韻使用の是非などを論じた『劇詩論』 Of Dramatick Poesie,An Essay (68) である。桂冠詩人 (68~88) 。

ドライデン
Dryden, Hugh Latimer

[生]1898.7.2. アメリカ,メリーランド,ポコモークシティ
[没]1965.12.2. アメリカ,ワシントンD.C.
アメリカの物理学者。ジョンズ・ホプキンズ大学卒業後,ワシントン D. C.の連邦政府規格基準局に勤め,気体力学について研究。第2次世界大戦中は「バット」と呼ばれた誘導ミサイルの開発に従事。戦後は航空諮問委員会会長を経て,1958年アメリカ航空宇宙局の次長に就任。米ソの宇宙共同開発計画,気象衛星のデータ交換,通信衛星などの開発に貢献した。

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