朝日日本歴史人物事典 「小堀政方」の解説
小堀政方
生年:寛保2(1742)
江戸中期の伏見奉行。近江国(滋賀県)小室藩主。備中守,和泉守。父政峯は宝暦期の若年寄。小堀正一(遠州)の子孫。宝暦11(1761)年遺領1万630石を継ぐ。大番頭を経て安永7(1778)年に伏見奉行となり和泉守叙任。在任中,窮迫した藩財政の補填や寵妾の贅沢で多額の御用金と重税を伏見の町人に課した。天明5(1785)年9月伏見町民文珠九助らは,小堀の暴政を幕府に越訴(一揆の実録『雨中之鑵子』に詳しい)したため,同年12月伏見奉行を罷免。8年5月,改易に処せられ領知没収で小室藩は取り潰され,身柄は相模国(神奈川県)小田原藩主大久保忠顕に永預け,翌年播磨国(兵庫県)赤穂藩主森忠賛に預け替えとなった。
(山田忠雄)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報