日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウォルポール」の意味・わかりやすい解説
ウォルポール(Sir Robert Walpole, 1st Earl of Orford)
うぉるぽーる
Sir Robert Walpole, 1st Earl of Orford
(1676―1745)
イギリスの政治家。ノーフォーク州の地主の家に生まれ、1701年庶民院議員に初選出。政界入り直後から海軍長官、海軍大臣などを歴任、敏腕なホイッグ党員として活躍した。ジョージ1世即位後は大蔵省主計長官の要職についたが、ホイッグ党内の内紛により一時下野した。しかし、1720年の南海泡沫(ほうまつ)事件を機に大蔵大臣兼財務長官に任ぜられ、その事後処理にあたって信頼を集め、以後1742年まで20余年間この職にあって事実上の首相として政権を担当した。
対外的には一貫して平和政策をとり、国内では健全財政を維持したため、当時の経済的繁栄と相まって社会は安定した。議会運営、人事、財政いずれにも卓抜した手腕を振るい、通説では責任内閣制の創始者とされるが、議会に対する閣僚の連帯責任という慣例は当時は定着しておらず、大臣は個人として国王にのみ責任を負うにすぎなかった。むしろ大規模な買収、腐敗行為も政権維持のためにはあえていとわず、その非難の表明として「首相」とよばれたほどであった。
[大久保桂子]
ウォルポール(Sir Hugh Seymour Walpole)
うぉるぽーる
Sir Hugh Seymour Walpole
(1884―1941)
イギリスの小説家、批評家。3月13日、ニュージーランドの牧師の子として生まれる。カンタベリーのキングズ・スクール、ケンブリッジのエマニュエル・カレッジに学んだ。大学時代から小説を書き始め、卒業後一時牧師代理や学校教師を経験するが飽き足らず、1909年ロンドンに出て処女作『木馬』により作家となった。ヘンリー・ジェームズを敬慕し、またA・トロロープに傾倒して、トロロープ風の写実的な小説から出発し、しだいにロマンチックな作風に変わり、ときには無気味な残酷趣味を発揮することもある。巧みな語り口により流行作家としての名声を博し、小説作品だけでも40冊を超える。『ペリン氏とトレイル氏』(1911)、『大寺院』(1922)、『赤毛の男の肖像』(1925)、『ジョン・コーニーリアス』(1937)などがある。また大衆の人気をよんだ『ヘリー家物語』四部作(1930~33)、少年期の自伝的要素の濃い『ジェレミー』三部作(1919~27)もある。大の読書家で本好きの彼は、古今のイギリス小説に通じ、その談論は英米の読者層に歓迎され、ロンドン文壇の中心的存在だった。またW・スコットの手稿をはじめ、本の収集でも名高い。37年ナイトに叙せられ、生涯独身で、41年6月1日、湖水地方ケズウィックの隠棲(いんせい)地で死去。
[佐野 晃]
『西田琴訳『ジェレミー 幼児の生い立ち』(1937・岩波書店)』