日本歴史地名大系 「小学校跡」の解説 小学校跡しようがつこうあと 長崎県:下県郡厳原町府中城下宮谷町小学校跡[現在地名]厳原町宮谷対馬藩の藩校跡。貞享二年(一六八五)藩主宗義真による創立で、八―一五歳までの家臣の子弟を教育した。大坂から塩川伊右衛門(谷斎)を招いて主任とし、翌年中江藤樹の三男秀里(常省)を招聘して学校奉行とした。学科は修身・歴史・習字・武術で、教科書は四書五経や和漢の歴史書を用い、朱子の注をもって解説した。「郡方毎日記」享保九年(一七二四)条に「小学へ罷出稽古之人数減少」とあり、親方の負担を軽減して就学者を増やすよう対策を講じた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by