小宮山弥太郎(読み)こみやま・やたろう

朝日日本歴史人物事典 「小宮山弥太郎」の解説

小宮山弥太郎

没年:大正9.5.8(1920)
生年:文政11(1828)
幕末明治期の甲府大工。幕末には徳川家三卿のひとつ田安家の作事頭であったという。明治6(1873)年藤村紫朗が山梨県の権令(のち県令)に就いて,後年「藤村式」と呼ばれることになる洋風の産業建築・官公庁建築を推進したが,小宮山は梁木学校,琢美学校,勧業製糸場(いずれも1874年),師範学校(1875),県庁舎(1877)など主要建築の棟梁を務めた。明治20年藤村県令の愛媛県転任に伴って松山に移り,同県庁舎などを手がけている。<参考文献>藤森照信都市 建築」(日本近代思想大系19巻)

(越野武)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小宮山弥太郎」の解説

小宮山弥太郎 こみやま-やたろう

1828-1920 幕末-明治時代の大工。
文政11年10月20日生まれ。はじめ江戸田安家の作事頭(がしら)(棟梁(とうりょう))。明治6年山梨県権令(ごんれい)に就任した藤村紫朗(しろう)の意向うけ,県立勧業製糸場,県立病院などの建設の棟梁をつとめた。作品は和洋の折衷式建築で,のち「藤村式」とよばれた。大正9年5月8日死去。93歳。甲斐(かい)(山梨県)出身。名は正広

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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