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藤村紫朗 ふじむら しろう

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤村紫朗 ふじむら-しろう

1845-1909 幕末-明治時代の武士,官僚。
弘化(こうか)2年3月1日生まれ。肥後熊本藩士。尊攘(そんじょう)運動にくわわる。維新後,藤村姓を名のる。軍監,兵部少丞,大阪府参事,山梨県,愛媛県の知事などをつとめ,明治23年貴族院議員。明治42年1月5日死去。65歳。本姓黒瀬。通称は平八,嘉右衛門,四郎。

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朝日日本歴史人物事典の解説

藤村紫朗

没年:明治42.1.5(1909)
生年:弘化2.3.1(1845.4.7)
明治期の地方行政官。熊本藩士黒瀬市右衛門,登千の次男。萱野太平の養子となる。初め嘉右衛門と称した。尊王の志士として国事に奔走,文久3(1863)年七卿落ちに同行し,翌元治1(1864)年脱藩して長州軍に参加。慶応3(1867)年王政復古クーデタに呼応して高野山に挙兵。倒幕活動の間,多くの変名を用いたが,維新後藤村紫朗に定める。明治1(1868)年明治新政府の徴士となり,多くの官職を歴任。6年1月,山梨県に権令として赴任し,7年10月同県令に昇進,20年3月愛媛県知事に転じるまでの約14年間山梨県の行政を指揮。教育,勧業,土木事業など多方面で急進的な文明開化政策を一貫して進める。その際,棟梁小宮山弥太郎,松木輝殷らを登用して,「藤村式」と称される擬洋風建築を数十棟建設した。23年貴族院議員,29年男爵。実業家・政治家の藤村義朗は長男。<参考文献>植松光宏『山梨の洋風建築』

(石田潤一郎)

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