日本歴史地名大系 「小宮山村」の解説 小宮山村こみやまむら 長野県:佐久市野沢地区小宮山村[現在地名]佐久市大字小宮山東は片貝(かたかい)川を挟んで三塚(みちづか)村・桜井(さくらい)村に対し、南は前山(まえやま)城跡と耕地で境し、北は今岡(いまおか)村、西はすぐ山地で蓼科(たてしな)山に通ずる。集落は、蓼科山の支脈が佐久平に沈む裾に展開する。嘉暦四年(一三二九)諏訪社上社の五月会・御射山等結番定(守矢文書)に「伴野庄三塚・小宮山両郷」と記される。建武二年(一三三五)一〇月二一日の伴野庄年貢注文案(大徳寺文書)には「小宮山白子五百六十貫、佃、二丁一反、三貫、佃五百貫文」とあり、中世には伴野(ともの)庄に属した。近世の領有関係は親藩・幕府領を繰り返し、元禄一五年(一七〇二)下県(しもがた)知行所、明和二年(一七六五)再び幕府領となって明治に至る。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by