小山完吾(読み)コヤマ カンゴ

20世紀日本人名事典 「小山完吾」の解説

小山 完吾
コヤマ カンゴ

明治〜昭和期のジャーナリスト 時事新報社長;貴院議員。



生年
明治8年5月(1875年)

没年
昭和30(1955)年7月23日

出生地
長野県

学歴〔年〕
慶応義塾卒

経歴
ロンドン大学に留学後、妻の祖父福沢諭吉創設の時事新報社の記者となり、大正15年社長に就任。この間、明治45年衆院議員(政友会)に当選、大正8年パリ講和会議に全権随員として出席した。昭和21年貴族院議員。著書に「小山完吾日記」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小山完吾」の解説

小山完吾 こやま-かんご

1875-1955 明治-昭和時代のジャーナリスト,政治家
明治8年5月生まれ。妻の祖父福沢諭吉が創設した時事新報にはいり,大正15年社長に就任。この間,大正8年のパリ講和会議に全権随員として出席。また明治45年衆議院議員(政友会),昭和21年貴族院議員となった。昭和30年7月23日死去。80歳。長野県出身。慶応義塾卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の小山完吾の言及

【時事新報】より

…また1905年には関西進出を図り《大阪時事新報》を創刊したが,終始振るわなかった。大正期に入ってからは小山完吾(1875‐1955。1926年社長就任)らが中心となって第1次護憲運動に活躍し,第1次世界大戦後の一連の外交報道では四ヵ国条約のスクープなど伊藤正徳特派員らの活躍が光った。…

※「小山完吾」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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