…また1905年には関西進出を図り《大阪時事新報》を創刊したが,終始振るわなかった。大正期に入ってからは小山完吾(1875‐1955。1926年社長就任)らが中心となって第1次護憲運動に活躍し,第1次世界大戦後の一連の外交報道では四ヵ国条約のスクープなど伊藤正徳特派員らの活躍が光った。…
※「小山完吾」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...
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