小性組(読み)こしょうぐみ

改訂新版 世界大百科事典 「小性組」の意味・わかりやすい解説

小性組 (こしょうぐみ)

武家の軍制で,主将扈従(小性)(こしよう)し,その護衛任務とした部隊。江戸幕府の小性組は当初黒書院西湖間に勤番し,その庭前に花畠があったところから花畠番と称された。《東武実録》によると,1632年(寛永9)2月には20~30人を1組とする本丸(徳川家光付)花畠6番,西丸(秀忠付)花畠6番が編成されていた。43年8月以降紅葉間に勤番することとなってその呼称も改められた。その後,1組の人数は50人に固定されたが,組数には多少変化があり,6~10組,組ごとに番頭・組頭各1人が置かれた。番頭ははじめ年寄級の者がこれを兼ねたが,のち上級旗本の任となった。1723年(享保8)には番頭4000石高,組頭1000石高,番衆は300俵と定められた。書院番と併せて両番と称され,ともに殿中の警備,将軍外出時の供奉,遠国御使等を務めたほか,昼夜廻(江戸市中巡回),屋敷改進物番等の職務を兼ねた。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の小性組の言及

【小姓】より

…また諸藩の職名に大小性,中小性等がある。小性組【松尾 美恵子】。…

【巡見使】より

…最初の寛永の巡見使は,大御所徳川秀忠が死去し3代将軍家光が名実ともに政権を掌握したのを機に,また寛文の巡見使は4代家綱の政権の確立期に,それぞれ派遣されたが,5代綱吉の天和の巡見使以降,代替り直後に派遣されるようになった。 巡見使は原則として全国に派遣されたが,寛永の場合は6ブロックに3人ずつ(万石以上,使番,両番(書院番小性組)により構成),寛文の場合は〈陸方衆〉として6ブロック(ただし1664年派遣の関東を除く)に3人ずつ(使番,書院番,小性組により構成),〈海辺衆〉として2ブロックに2人ずつ(船手等により構成),天和と宝永の場合は8ブロックに3人ずつ(使番1人,両番2人により構成)の編成で,御料(幕領と天領)・私領の区別はなかった。ところが宝永の巡見使のもたらした報告により全国の施政・民情の実態を知った幕府は,とくに直轄領の監察強化を企図し,1712年から翌年にかけて,全国の幕領を14のブロックに分け,各3人ずつ(勘定,支配勘定,徒目付(かちめつけ)により構成)の〈国々御料所村々〉巡見使を派遣した。…

※「小性組」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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