一般的には城の本丸の西側に位置する郭の意で,歴史的には江戸城の西丸が著名。江戸城西丸の地は,戦国時代までは城外であったが,徳川家康が入城してのち1592年(文禄1)に城を拡張して一郭とした。西丸建設にともない城下東側の海面(日比谷入江)が埋め立てられ,のちの西丸下(現,皇居前広場)ができた。西丸は初め〈御隠居城〉〈新城〉などと呼ばれた。家康隠退後の住居の予定であったのであろう。家康自身は西丸には住まなかったが,2代秀忠以後は将軍隠居後の大御所,あるいは将軍世子(せいし)の居城として使用された。西丸の面積は6万8385坪(紅葉山,山里を含む)で,建坪6574坪(1852建設)の西丸殿舎が建っていた。殿舎は表,中奥,大奥に分かれ,広間や書院など部屋の配置も本丸御殿に準じ,これをやや小規模にした構造をもち,ここに勤務する役人も老中,若年寄以下本丸の職制に近い構成であった。幕末の1863年(文久3)本丸が火災で焼失し,以後再建されなかったため西丸が将軍の居所となった。明治維新後も皇居として使用,1873年の皇居の火災後,明治宮殿も昭和の新宮殿も引き続き旧西丸の地に建てられている。
執筆者:村井 益男
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