小明見村(読み)こあすみむら

日本歴史地名大系 「小明見村」の解説

小明見村
こあすみむら

[現在地名]富士吉田市小明見

大明見おおあすみ村の北、南東杓子しやくし山の支尾根に挟まれて北西流する大沢おおさわ川沿いの地域と、その西を北流する小佐野おざの川沿いのひのき丸尾の上にある。溶岩台地の西側を北流する桂川を隔てて、北は上暮地かみくれち村、北東倉見くらみ(現西桂町)、西は下吉田しもよしだ村。文禄三年(一五九四)検地帳(勝俣誠家文書)に小明見とみえる。文禄―慶長期(一五九二―一六一五)のもの推定とされる四郡高〆控には小阿須見こあすみ村とあり、高一九一石余。寛文九年(一六六九)検地(勝俣誠家文書)では田九〇石余・畑屋敷一〇一石余の計一九三石余、桑九三束とある。反別は上田四反余・中田四町三反余・下田四町三反余・下々田一町七反余・見付田七反余、上畑二町七反余・中畑三町三反余・下畑四町七反余・下々畑四町八反余・見付畑六町二反余、屋敷一町一反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む