小杉新町(読み)こすぎしんまち

日本歴史地名大系 「小杉新町」の解説

小杉新町
こすぎしんまち

[現在地名]小杉町戸破へわり三ヶさんが

現小杉町のほぼ中央部に位置し、北陸街道が通る。明暦(一六五五―五八)から万治(一六五八―六一)にかけての頃、下条げじよう村の瀬兵衛(御扶持人十村・下条組裁許。寺林氏)が小杉町(小杉村・小杉三ヶ村とも)戸破村の間の畑地を借受けて新しく立てた町場で、当初は小杉今こすぎいま町と称した。寛文二年(一六六二)北陸街道の宿駅に指定され、以後宿場町・在郷町として発展した。ただし村御印では小杉三ヶ村・戸破村に含まれていた。

〔町立ての経緯とその規模〕

万治元年九月に瀬兵衛が提出した町立願書(「小杉新町旧記書上申帳」松長家文書)などによると、「小杉町と戸破村あかたの畠」を地子地(屋敷地)に申請、両村の頭振百姓や近在百姓の次男・三男から移住希望者を募り、新町を経営したいと願出たところ認められた。一〇〇軒分の居屋敷地を用意し九月までに五三軒が建てられ、残りも年内に建つ予定と述べている。また瀬兵衛は新町が富山―高岡間六里の中ほどに位置することから宿駅指定と市場開設を希望している。当初瀬兵衛が借受けた土地は一万七九〇歩で、小杉村分の田七七歩・畑五千三〇四歩、戸破村分の田四四歩・畑五千三六五歩であった。それぞれの高七石六斗余が両村の高から除かれ、代りに瀬兵衛が地子米三二石三斗余(銀子払)射水郡の小物成として納めることになった(万治元年一二月「小杉今町地子図并戸破小杉引ケ高」小杉新町旧記書上申帳)。その後新たに新町に移住を希望する者が出たが敷地がないため、申請により寛文一二年さらに戸破村・小杉村から合せて五石一斗余分の地を割いて新町の拡張が行われた(小杉新町由来「小杉宿由来等之事写帳」松長家文書)

〔町の発展〕

宿駅指定は前述のように寛文二年に実現し(「小杉新町旧記之写」赤壁家文書)、同年から小杉新町と称した(小杉新町由来)。市場開設は延宝二年(一六七四)八月に認可され、以後毎月二・五・八の日の九斎市が立つことになった(「小杉新町市定書」小杉新町旧記書上申帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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