大閤とも書かれる。関白に任じられた者の子息が関白になったとき,父である前関白を呼ぶ称号。《臥雲日件録》に〈父已為関白,其子又必関白,父尚存則称大閤……〉という解釈がみられる。江戸時代の有職書では,摂家の者で関白を他家へ譲った者を前関白,子息に譲った者を太閤と称するが,いったん他家へ譲った後でも子息が関白となれば太閤と称すると解している。太閤として最も著名な人物は豊臣秀吉であるが,それは1585年(天正13)関白の宣旨を受け,91年養子秀次に関白を譲ったので太閤と称することができたのである。なお古くは関白在職中の者をも太閤と称したらしく,関白左大臣藤原頼通を〈関白太閤〉と称した例がある。また太閤で出家した者は禅閤と呼ばれる。
執筆者:岩沢 愿彦
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大閤とも。摂政・太政大臣の敬称。古記録などによれば,前摂政や現任の関白のほか,関白の職を子に譲った者(豊臣秀吉は養子秀次に関白を譲ったことによる),関白を辞してのち内覧の宣旨をうけた者など,前関白についても太閤と称した事例がある。左大臣・右大臣を左太閤・右太閤と称する場合もあった。
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