小東庄(読み)こひがしのしよう

日本歴史地名大系 「小東庄」の解説

小東庄
こひがしのしよう

建保二年(一二一四)東大寺領諸荘田数所当等注進状(東大寺続要録)の「大仏御仏聖白米免三十六町所々散在」のうちに「小東庄十一町勤百十ケ日」とある。これによると、小東庄は東大寺大仏殿に供える仏聖米を年に一一〇日つとめる荘園となり、面積は一一町とある。

当庄は時代をさかのぼると大田犬丸おおたいぬまる名にゆきつく。東大寺は官大寺であったから、右の仏聖米は中央政府から給付されたが、実際には大和国衙から上納された。しかし平安期になると、大和の郡郷から納めるように変わり、反面、東大寺の要望もあって仏聖米を上納する田地が決められることになり、天喜二年(一〇五四)に、公領のうちに三六町の大仏供白米免田が設定された。その第一として、同年安田やすだ(現生駒郡斑鳩町大字目安)に設定されたが、かねて東大寺と関係のあった大田犬丸名(この時は大田犬丸負田)にも同免田が設定された。

大田犬丸名(負田)は永承五年(一〇五〇)の大田犬丸名結解(東大寺文書)によると、広瀬郡一二条二里(二)、一三条二里(一〇)・三里(一二)、一四条三里(二)・四里(三)、一五条四里(一)にあり(括弧内は坪数)、面積は一〇町四段二六〇歩とある。条里によると、同名の所在は現河合町大字長楽ちようらく穴闇なぐら池部いけべを中心とし、広陵町大字さわ辺りにも散在している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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