小林万吾(読み)コバヤシ マンゴ

20世紀日本人名事典 「小林万吾」の解説

小林 万吾
コバヤシ マンゴ

明治〜昭和期の洋画家



生年
明治3年5月2日(1870年)

没年
昭和22(1947)年12月6日

出生地
香川県三野郡詫間村(現・詫間町)

学歴〔年〕
東京美術学校選科〔明治42年〕卒

経歴
原田直次郎安藤仲太郎、のち黒田清輝らに師事天真道場を経て白馬会会員となり作品を発表。明治37年東京美校助教授、44年欧州に留学、大正3年帰国、7年教授、東京高師教授兼任。文展出品、帝展審査員となり、昭和15年帝国芸術院会員。代表作は「かどつけ」「物思」「渡船」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小林万吾」の解説

小林万吾 こばやし-まんご

1870-1947 明治-昭和時代の洋画家。
明治3年5月10日生まれ。原田直次郎,黒田清輝(せいき)にまなぶ。大正7年母校東京美術学校(現東京芸大)の教授。東京高師教授もつとめた。昭和16年芸術院会員。昭和22年12月6日死去。78歳。讃岐(さぬき)(香川県)出身。作品に「かどつけ」「磯菜摘」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の小林万吾の言及

【明治・大正時代美術】より

…黒田は美術学校と白馬会に拠って,藤島,岡田をはじめ,和田英作(1874‐1959),湯浅一郎(1868‐1931),白滝幾之助(1873‐1959),長原孝太郎(止水。1864‐1930),中沢弘光(1874‐1964),北蓮蔵(きたれんぞう)(1876‐1949),小林万吾(1870‐1947)ら,明治後期の洋画壇を築いた多くの新人を育てた。これらの中では,《天平の面影》(1902)や《蝶》(1904)を描いた藤島武二と,彼の影響を受けて《海の幸》(1904)や《わだつみのいろこの宮》(1907)のように詩情豊かな浪漫的な作風をうち出した青木繁が傑出している。…

※「小林万吾」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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