精選版 日本国語大辞典 「原田直次郎」の意味・読み・例文・類語
はらだ‐なおじろう【原田直次郎】
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明治時代の洋画家。岡山藩士原田一道の子として江戸小石川に生まれる。東京外国語学校でフランス語を学ぶかたわら,山岡成章や高橋由一に洋画の指導を受ける。1884年ドイツに留学,ミュンヘンでドイツ歴史画派の巨匠マックスGabriel Maxに師事。ドイツ・ロマン主義絵画の描写力とその精神性に感化される。滞独時代の代表作に《ドイツの少女》《靴屋の阿爺(おやじ)》などがある。留学中に森鷗外と親交を結び,鷗外の《うたかたの記》に登場する日本人画工,巨勢(こせ)のモデルとなる。87年帰国。翌年画塾鍾美館を開設して後進の指導にあたり,明治美術会の創立に際して中心的な画家の一人となる。90年第3回内国勧業博覧会に出品した《騎竜観音》は,ドイツ風の重厚な写実主義と歴史画研究の成果を結集し,大きな反響をもたらすが,森鷗外と外山正一との間に歴史画論争を引き起こす。この作品は西欧の伝統絵画がもつ構想画の発想を基にしているが,その東洋的な主題と理念の導入をめぐって論議を呼んだのである。93年発病し,病床にあっても制作を続けるが,36歳で夭折した。
執筆者:酒井 忠康
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(三輪英夫)
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明治の洋画家。文久(ぶんきゅう)3年8月30日江戸小石川に岡山藩士の子として生まれる。大阪開成学校に入学してフランス語を学んだのち、1873年(明治6)上京する。81年外国語学校を卒業するが、在学中、山岡正章(せいしょう)に洋画を学ぶ。ついで高橋由一(ゆいち)に師事したのち、84~87年ドイツに留学し、ミュンヘン美術学校でガブリエル・マックスについて写実技法と歴史画を学び、『ドイツの少女』『靴屋の阿爺(おやじ)』『風景』などを制作。また留学中に森鴎外(おうがい)との親交が始まる。帰国の翌年、東京本郷に画塾鍾美(しょうび)館を開いて後進の指導にあたるほか、89年同志たちと明治美術会を創立する。翌年第3回内国勧業博覧会の審査官となるほか、シカゴ万国博覧会のための鑑査官などを務めた。帰国後は東洋主義的な構想画を志して『騎竜観音(きりゅうかんのん)』ほかを発表、美術界の論議の的となった。明治32年12月26日、36歳で東京に没。
[小倉忠夫]
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