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原田直次郎 はらだなおじろう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

原田直次郎
はらだなおじろう

[生]文久3(1863).8.30. 江戸
[没]1899.12.26. 東京
洋画家。 1881年東京外国語学校を卒業。 82年油絵を高橋由一に学ぶ。 84年ミュンヘン留学,G.マックス師事してドイツ官学派の重厚な写実技法を修得。また滞欧中森鴎外と親交を結んだ。 87年帰国,88年に画塾鍾美館を開き,89年明治美術会の創立に参加。堅実な写実力に基づき,日本的題材による一連の構想画を描こうとしたが,本領を発揮するまもなく夭折した。主要作品『靴屋の阿爺』 (1886,東京芸術大学) ,『ドイツの少女』 (86頃,東京国立博物館) ,『騎竜観音』 (90,護国寺) 。

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デジタル大辞泉の解説

はらだ‐なおじろう〔‐なほジラウ〕【原田直次郎】

[1863~1899]洋画家。江戸の生まれ。高橋由一に師事。ドイツ留学後、私塾鍾美館を設立する一方、明治美術会創設に参加。代表作「靴屋のおやじ」など。

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百科事典マイペディアの解説

原田直次郎【はらだなおじろう】

洋画家。江戸生れ。東京外国語学校卒後,油絵を山岡成章,高橋由一に学び,1884年ドイツに留学して,ミュンヘンの美術学校に入学。1887年帰国後,本郷に画塾鍾美館(しょうびかん)を設けて後進を指導し,1889年明治美術会創立に参加。
→関連項目三宅克己

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

原田直次郎 はらだ-なおじろう

1863-1899 明治時代の洋画家。
文久3年8月30日生まれ。原田一道の次男。原田豊吉の弟。高橋由一(ゆいち)らにまなび,明治17年ドイツに留学。帰国後,22年画塾鍾美(しょうび)館をひらき,明治美術会創立にくわわった。明治32年12月26日死去。37歳。江戸出身。東京外国語学校(現東京外大)卒。作品に「靴屋の阿爺(おやじ)」「騎竜観音」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

原田直次郎

没年:明治32.12.26(1899)
生年:文久3.8.30(1863.10.12)
明治期の洋画家。岡山藩士原田一道の次男。江戸生まれ。明治14(1881)年東京外国語学校仏語科を終え,翌年から天絵学舎で西洋画法を学ぶ。17年,美術研究を目的にミュンヘンへ自費留学,歴史画派のガブリエル・マックスに師事する。ドイツ官学派の手堅い写実画法を学ぶとともに,ドイツ浪漫主義の作風にも強く影響を受けた。滞独中の作品に「靴屋の阿爺」(東京芸大蔵)などがある。ミュンヘンでは森鴎外と親交し,鴎外の『うたかたの記』の主人公巨勢は原田がモデルとされる。20年帰国し,翌年自宅に画塾鍾美館を設け,和田英作,三宅克己らを指導した。22年明治美術会創立に参加,翌年の第3回内国勧業博覧会には大作「騎竜観音」を出品。この作品は,外山正一と鴎外との間で画題論争を起こしたことで知られる。28年第4回内国勧業博覧会に「素尊斬蛇」で妙技3等賞を受賞。この間,鴎外の『於母影』などの挿絵や『めさまし草』の表紙絵も描く。黒田清輝らに対し旧派とされたが,明治を代表する洋画家のひとり。

(三輪英夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

はらだなおじろう【原田直次郎】

1863‐99(文久3‐明治32)
明治時代の洋画家。岡山藩士原田一道の子として江戸小石川に生まれる。東京外国語学校でフランス語を学ぶかたわら,山岡成章や高橋由一に洋画の指導を受ける。1884年ドイツに留学,ミュンヘンでドイツ歴史画派の巨匠マックスGabriel Maxに師事。ドイツ・ロマン主義絵画の描写力とその精神性に感化される。滞独時代の代表作に《ドイツの少女》《靴屋の阿爺(おやじ)》などがある。留学中に森鷗外と親交を結び,鷗外の《うたかたの記》に登場する日本人画工,巨勢(こせ)のモデルとなる。

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大辞林 第三版の解説

はらだなおじろう【原田直次郎】

1863~1899) 洋画家。江戸生まれ。東京外国語学校卒。豊吉の弟。ドイツ留学後、画塾鐘美館を設け、また明治美術会の創設に参加。代表作「靴屋のおやじ」

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

原田直次郎
はらだなおじろう
(1863―1899)

明治の洋画家。文久(ぶんきゅう)3年8月30日江戸小石川に岡山藩士の子として生まれる。大阪開成学校に入学してフランス語を学んだのち、1873年(明治6)上京する。81年外国語学校を卒業するが、在学中、山岡正章(せいしょう)に洋画を学ぶ。ついで高橋由一(ゆいち)に師事したのち、84~87年ドイツに留学し、ミュンヘン美術学校でガブリエル・マックスについて写実技法と歴史画を学び、『ドイツの少女』『靴屋の阿爺(おやじ)』『風景』などを制作。また留学中に森鴎外(おうがい)との親交が始まる。帰国の翌年、東京本郷に画塾鍾美(しょうび)館を開いて後進の指導にあたるほか、89年同志たちと明治美術会を創立する。翌年第3回内国勧業博覧会の審査官となるほか、シカゴ万国博覧会のための鑑査官などを務めた。帰国後は東洋主義的な構想画を志して『騎竜観音(きりゅうかんのん)』ほかを発表、美術界の論議の的となった。明治32年12月26日、36歳で東京に没。[小倉忠夫]

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世界大百科事典内の原田直次郎の言及

【明治・大正時代美術】より

…また結城素明(1875‐1957),平福百穂,島崎柳塢(りゆうう)(1856‐1938)らは東京で无声会(むせいかい)を結成し(1900),西洋画の写生を研究して自然主義的な新しい日本画をもたらすことになる。
[明治美術会と白馬会]
 明治10年代の後半,洋画家たちは一時息をひそめたが,この間にヨーロッパに渡った山本芳翠(フランス),原田直次郎(ドイツ),松岡寿(イタリア)らが帰国し,洋画界の新しい活動力となる。彼らは1889年浅井忠,小山正太郎,本多錦吉郎(きんきちろう)(1850‐1921。…

※「原田直次郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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