原田直次郎(読み)ハラダナオジロウ

デジタル大辞泉 「原田直次郎」の意味・読み・例文・類語

はらだ‐なおじろう〔‐なほジラウ〕【原田直次郎】

[1863~1899]洋画家江戸の生まれ。高橋由一師事ドイツ留学後、私塾鍾美館を設立する一方明治美術会創設参加代表作靴屋のおやじ」など。

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精選版 日本国語大辞典 「原田直次郎」の意味・読み・例文・類語

はらだ‐なおじろう【原田直次郎】

  1. 洋画家。東京の人。高橋由一に師事後ドイツに留学、歴史画を学ぶ。帰国後、画塾鍾美館を開設し後進の指導に当たり、また、明治美術会の創設に参加。代表作「靴屋の阿爺」「騎龍観音」。文久三~明治三二年(一八六三‐九九

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改訂新版 世界大百科事典 「原田直次郎」の意味・わかりやすい解説

原田直次郎 (はらだなおじろう)
生没年:1863-99(文久3-明治32)

明治時代の洋画家。岡山藩士原田一道の子として江戸小石川に生まれる。東京外国語学校でフランス語を学ぶかたわら,山岡成章や高橋由一に洋画の指導を受ける。1884年ドイツに留学,ミュンヘンでドイツ歴史画派の巨匠マックスGabriel Maxに師事。ドイツ・ロマン主義絵画の描写力とその精神性に感化される。滞独時代の代表作に《ドイツの少女》《靴屋の阿爺(おやじ)》などがある。留学中に森鷗外と親交を結び,鷗外の《うたかたの記》に登場する日本人画工,巨勢(こせ)のモデルとなる。87年帰国。翌年画塾鍾美館を開設して後進の指導にあたり,明治美術会の創立に際して中心的な画家の一人となる。90年第3回内国勧業博覧会に出品した《騎竜観音》は,ドイツ風の重厚な写実主義と歴史画研究の成果を結集し,大きな反響をもたらすが,森鷗外と外山正一との間に歴史画論争を引き起こす。この作品は西欧の伝統絵画がもつ構想画の発想を基にしているが,その東洋的な主題と理念の導入をめぐって論議を呼んだのである。93年発病し,病床にあっても制作を続けるが,36歳で夭折した。
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朝日日本歴史人物事典 「原田直次郎」の解説

原田直次郎

没年:明治32.12.26(1899)
生年:文久3.8.30(1863.10.12)
明治期の洋画家。岡山藩士原田一道の次男。江戸生まれ。明治14(1881)年東京外国語学校仏語科を終え,翌年から天絵学舎で西洋画法を学ぶ。17年,美術研究を目的にミュンヘンへ自費留学,歴史画派のガブリエル・マックスに師事する。ドイツ官学派の手堅い写実画法を学ぶとともに,ドイツ浪漫主義の作風にも強く影響を受けた。滞独中の作品に「靴屋の阿爺」(東京芸大蔵)などがある。ミュンヘンでは森鴎外と親交し,鴎外の『うたかたの記』の主人公巨勢は原田がモデルとされる。20年帰国し,翌年自宅に画塾鍾美館を設け,和田英作,三宅克己らを指導した。22年明治美術会創立に参加,翌年の第3回内国勧業博覧会には大作「騎竜観音」を出品。この作品は,外山正一と鴎外との間で画題論争を起こしたことで知られる。28年第4回内国勧業博覧会に「素尊斬蛇」で妙技3等賞を受賞。この間,鴎外の『於母影』などの挿絵や『めさまし草』の表紙絵も描く。黒田清輝らに対し旧派とされたが,明治を代表する洋画家のひとり。

(三輪英夫)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「原田直次郎」の意味・わかりやすい解説

原田直次郎
はらだなおじろう
(1863―1899)

明治の洋画家。文久(ぶんきゅう)3年8月30日江戸小石川に岡山藩士の子として生まれる。大阪開成学校に入学してフランス語を学んだのち、1873年(明治6)上京する。81年外国語学校を卒業するが、在学中、山岡正章(せいしょう)に洋画を学ぶ。ついで高橋由一(ゆいち)に師事したのち、84~87年ドイツに留学し、ミュンヘン美術学校でガブリエル・マックスについて写実技法と歴史画を学び、『ドイツの少女』『靴屋の阿爺(おやじ)』『風景』などを制作。また留学中に森鴎外(おうがい)との親交が始まる。帰国の翌年、東京本郷に画塾鍾美(しょうび)館を開いて後進の指導にあたるほか、89年同志たちと明治美術会を創立する。翌年第3回内国勧業博覧会の審査官となるほか、シカゴ万国博覧会のための鑑査官などを務めた。帰国後は東洋主義的な構想画を志して『騎竜観音(きりゅうかんのん)』ほかを発表、美術界の論議の的となった。明治32年12月26日、36歳で東京に没。

[小倉忠夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「原田直次郎」の意味・わかりやすい解説

原田直次郎
はらだなおじろう

[生]文久3(1863).8.30. 江戸
[没]1899.12.26. 東京
洋画家。 1881年東京外国語学校を卒業。 82年油絵を高橋由一に学ぶ。 84年ミュンヘンに留学,G.マックスに師事してドイツ官学派の重厚な写実技法を修得。また滞欧中森鴎外と親交を結んだ。 87年帰国,88年に画塾鍾美館を開き,89年明治美術会の創立に参加。堅実な写実力に基づき,日本的題材による一連の構想画を描こうとしたが,本領を発揮するまもなく夭折した。主要作品『靴屋の阿爺』 (1886,東京芸術大学) ,『ドイツの少女』 (86頃,東京国立博物館) ,『騎竜観音』 (90,護国寺) 。

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百科事典マイペディア 「原田直次郎」の意味・わかりやすい解説

原田直次郎【はらだなおじろう】

洋画家。江戸生れ。東京外国語学校卒後,油絵を山岡成章,高橋由一に学び,1884年ドイツに留学して,ミュンヘンの美術学校に入学。1887年帰国後,本郷に画塾鍾美館(しょうびかん)を設けて後進を指導し,1889年明治美術会創立に参加。明治初・中期の洋画壇のなかで卓越した技術的水準をみせた。作品に《靴屋の阿爺》《騎竜観音》など。
→関連項目三宅克己

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「原田直次郎」の解説

原田直次郎 はらだ-なおじろう

1863-1899 明治時代の洋画家。
文久3年8月30日生まれ。原田一道の次男。原田豊吉の弟。高橋由一(ゆいち)らにまなび,明治17年ドイツに留学。帰国後,22年画塾鍾美(しょうび)館をひらき,明治美術会創立にくわわった。明治32年12月26日死去。37歳。江戸出身。東京外国語学校(現東京外大)卒。作品に「靴屋の阿爺(おやじ)」「騎竜観音」など。

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旺文社日本史事典 三訂版 「原田直次郎」の解説

原田直次郎
はらだなおじろう

1863〜99
明治時代の洋画家
江戸の生まれ。東京外語学校卒業後,高橋由一に絵を学び,ドイツに留学。1889年明治美術会創立に参加し,また本郷に画塾鐘美館をつくり,和田英作らを育てた。代表作に『靴屋のおやじ』『騎竜観音』など。

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367日誕生日大事典 「原田直次郎」の解説

原田 直次郎 (はらだ なおじろう)

生年月日:1863年8月30日
明治時代の洋画家
1899年没

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