朝日日本歴史人物事典 「小栗満重」の解説
小栗満重
室町時代の武将。基重の子。通称孫次郎。常陸介。鎌倉公方足利氏満の諱の1字を受けて満重と称す。小栗氏は常陸大掾氏の一族で常陸国小栗御厨を領した。満重は応永23(1416)年に上杉禅秀(氏憲)が鎌倉公方足利持氏に反旗を翻すと(上杉禅秀の乱)禅秀方にくみし,のち鎌倉府に降った。その際持氏に所領の多くを没収されたことに不満を抱き,応永25年,同29年と反鎌倉府の兵を挙げる。特に29年の挙兵では,満重と同じく京都御扶持衆であった宇都宮持綱や桃井・佐々木氏らがこれに同調,共に小栗城に籠った。しかし翌年の持氏親征で小栗城は8月2日落城。満重は自害したとも,三河へ落ち延びたとも伝えられる。
(江田郁夫)
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