小森桃塢(読み)こもり とうう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小森桃塢」の解説

小森桃塢 こもり-とうう

1782-1843 江戸時代後期の蘭方医
天明2年4月3日生まれ。江馬蘭斎,稲村三伯にまなび,京都で開業名医として知られ,江戸参府途上のシーボルト親交をもつ。この間文化9年と文政4年に死体解剖をおこなった。天保(てんぽう)14年3月23日死去。62歳。美濃(みの)(岐阜県)出身。本姓大橋。名は義啓(よしひろ)。字(あざな)は玄良。別号に鷯斎。訳書に「蘭方枢機」,著作に「病因精義」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「小森桃塢」の解説

小森桃塢 (こもりとうう)

生年月日:1782年4月3日
江戸時代後期の蘭方医
1843年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の小森桃塢の言及

【メランコリー】より

…ヨーロッパ語としてのメランコリーがいつ日本に初めて伝えられたかははっきりしないが,江戸期の蘭方医がこれを仲介していることは確かである。たとえばゴルテルJohannes de Gorter(1689‐1762)の内科書(1744)を宇田川玄随が邦訳した《西説内科撰要》全18巻(1793‐1810)には,メランコリアを漢字に当てた〈黙朗格里亜〉の用語が,その意訳である〈胆液敗黒病〉とともに現れており,ついで,小森桃塢(とうう)(玄良)(1782‐1843)らによって〈鬱証〉〈鬱愁〉〈鬱狂〉などの訳語が提出されたあと,おなじく小森の編集になる《泰西方鑑》全5巻(1827)にいたり,ようやく〈鬱憂病〉の語が〈メランコリア〉のルビをつけて登場する。こうしてヨーロッパ的なメランコリーが,日本的な〈気鬱〉と結びつくわけだが,既述のとおり,前者が古代ギリシア・ローマ医学の体液病理学から発しているのに対し,後者は東洋医学に支配的な〈気〉の病理学に由来しており,この病理学上の差はメランコリーと日本的〈鬱〉との症候論上のちがいをも導いている。…

※「小森桃塢」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

一度利用した製品を捨てずにそのまま再使用すること。ごみの削減に重要だとされる「3R」の一つで、衣類・服飾品や家電などさまざまな品目が取り扱われている。リユース商品の専門店やイベント、フリーマーケット...

リユースの用語解説を読む