江戸後期の蘭学者(らんがくしゃ)。日本最初の蘭和辞典の編纂(へんさん)者。名は箭(せん)、号は白羽(はくう)。三伯は通称。鳥取藩医。脱藩して江戸に出て大槻玄沢(おおつきげんたく)について蘭学を学んだ。当時、蘭和辞典のないのを遺憾として辞典編纂を志し、ハルマFrançois Halma(1653―1722)の蘭仏辞典により、オランダ通詞(つうじ)出身で白河藩主松平定信(まつだいらさだのぶ)に仕える石井恒右衛門(石井庄助とも。旧名、馬田清吉(ばたせいきち)。1743―?)の翻訳、協力を得て、『波留麻和解(ハルマわげ)』を編纂、成就した。1796年(寛政8)8万余語の原語を木活字で30部印刷し、訳語を書き入れた。のち一時、下総(しもうさ)国(千葉県)海上郡(現、旭(あさひ)市)に隠棲(いんせい)、海上随鴎(うながみずいおう)と称したが、晩年京都に出て蘭学を教授した。門下の藤林普山(ふじばやしふざん)(1781―1836)は、『波留麻和解』が大冊で少部数である不便を軽減すべく、簡明な『訳鍵(やっけん)』を作成した。『波留麻和解』は、のちオランダ商館長ドゥーフが長崎のオランダ通詞を督励して編纂した蘭和辞典を『長崎ハルマ』というのに対して『江戸ハルマ』ともよばれる。文化8年1月16日没。京都東山の大恩寺に葬られた。
[片桐一男 2018年10月19日]
(鳥井裕美子)
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江戸後期の蘭学者。鳥取藩医稲村三杏の養子(実父は町医松井如水)。名は箭,字は白羽,三伯は号。江戸に出て大槻玄沢に学び,日本最初の蘭和辞典の編述を志し,ハルマの蘭仏辞典を基として,1796年(寛政8)《ハルマ和解(わげ)》(江戸ハルマ)を完成した。のち下総国海上郡に隠棲し,海上随鷗(うながみずいおう)と改名。1805年以降は京都で蘭学を教授,門人に藤林普山,小森桃塢(とうう)らが輩出した。
執筆者:有坂 隆道
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1758~1811.1.16
江戸後期の蘭方医・蘭学者。名は箭(せん),号は白羽。鳥取藩医稲村三杏(さんきょう)の養子となり,亀井南冥(なんめい)に学ぶ。1792年(寛政4)大槻玄沢(げんたく)の芝蘭堂に入門。玄沢に辞典の翻訳を頼んだが,多忙のため断られ,元通詞の石井恒右衛門を紹介された。ハルマの蘭仏辞典を訳出してもらい,宇田川玄随・岡田甫説らの協力をえて辞書を編纂,96年日本最初の蘭日辞典「ハルマ和解(わげ)」ができた。その後,実弟越前屋大吉の負債事件に関連して藩邸を出奔,下総国稲毛に隠棲,名も海上随鴎(うながみずいおう)と改めた。1805年(文化2)京都に移り蘭学を教授,門下には藤林普山・小森桃塢(とうう)・中天游(なかてんゆう)らが輩出しており,関西の蘭学発展に貢献した。
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…《法留麻和解》とも書かれる。江戸の大槻玄沢の門人稲村三伯がフランソア・ハルマの蘭仏辞書を玄沢から借り受け,オランダ通詞出身の石井恒右衛門の教示,同門の安岡玄真や岡田甫説の助力を得て作成した。1796年(寛政8)完成。…
※「稲村三伯」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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