小石和村(読み)こいさわむら

日本歴史地名大系 「小石和村」の解説

小石和村
こいさわむら

[現在地名]石和町小石和

広瀬ひろせ村の南、南西流する鵜飼川(金川)右岸川が鵜飼川に合流する地点の少し上流にある。若彦わかひこ路が東から北西に通る。村内はきた組・みなみ組に分れている(甲斐国志)。貞治三年(一三六四)二月一五日の一蓮寺寺領目録(一蓮寺文書)に小石和とみえる。慶長古高帳では高一千六〇四石余、幕府領。ほかに馬隠まがくし大明神(現諏訪神社)領三石余・神竜寺領七石余がある。貞享二年采地簿(臆乗鈔)では旗本紅林・名取・佐野領が設定されており、元禄郷帳ではこの旗本三氏と幕府領の四給。宝永二年(一七〇五)甲府藩領となり、享保九年(一七二四)幕府領上飯田代官支配、のち石和代官支配。寛文五年(一六六五)の北組分の検地帳のみ残り、反別は上田六町八反余・中田九町四反余・下田八町二反余・下々田二町五反余、上畑一町六反余・中畑一町八反余・下畑二町九反余・下々畑二町四反余、屋敷二町余(石和町誌)。この検地の結果北組は高五五八石余、南組は高六一九石余となり、村高は一千一七七石余となった(天保一四年「村明細帳」石井郁雄家文書)

鵜飼川には津出場があり、南北両組で運上永二五〇文を納めている。文化(一八〇四―一八)初年の家数九九・人数三八四、馬七(甲斐国志)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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