武田信重館跡(読み)たけだのぶしげやかたあと

日本歴史地名大系 「武田信重館跡」の解説

武田信重館跡
たけだのぶしげやかたあと

[現在地名]石和町小石和

成就じようじゆ境内にある甲斐国守護武田信重の館跡。「甲斐国志」には「本村ニ南小路・前小路・宿町・的場町屋・大門等ノ地名アリ。同院ノ西隣ニ家臣逸見又四郎朝俊ノ居址ト云伝フル処アリ。(中略)東西ニ土手堀ヲ構ヘ北ヨリ西ハ二重堀、南ハ門ナリ」とある。また「一蓮寺過去帳」には下野殿や岡部など小石和を冠する人名がみえ、居館を中心に一定規模の城下集落が展開していた様相がうかがえる。武田信重は、応永二四年(一四一七)父武田信満が上杉禅秀の乱に荷担して敗れ木賊とくさ(現大和村)で自害した後、難を逃れて紀伊高野山に入り出家(鎌倉大草紙)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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